分からない「笑い」
最近、バラエティ番組などを見ていると、
やたらに年寄りの方をあざけったり、
人生や人間性まで否定するような言動を浴びせたり、
自分の親におかしなことをさせたり言わせたり、
ヒドイものになると、ツッコミとしてでしょうけれど、
手をあげたりする光景まで映し出されることが多い。
そりゃ、もしかしたらお年寄りの方が「そうしてくれ」と言っているのかもしれないし、
親にしたって子供の仕事の手助けになるなら、と思ってかもしれない。
手をあげるほうもとにかくどんな手でも注目されなきゃ、という事情があるのかもしれない。
みんなが本意でなくやっている、「テレビ的演出」なのかもしれないけれど、
個人的にああいった光景は、すごく見ていてつらい。
ジョークとか、笑いとかは、
「やっちゃいけないこと」をある程度やっちゃうことで生まれることもあるのは分かる。
だけど、やっちゃいけないことの中にも本当にやっちゃいけないことがあって、
それを使っちゃうと、ただ見苦しいだけのものになっちゃうと思う。
自分も、用法容量を間違えて失敗したことがたくさんあるので、
苦言を呈しつつ身につまされることなのですが…。
「見たくないなら見なきゃいいべよ。」
というのは本当にその通りで、
見ないようにはしているのだけれど、
けっこうどの番組見ていてもそういう場面が多いので、
もしかすると今はこういう「笑い」が受け入れられやすいのか?
みんなが求めているのか?
と、すこし疑問に思ったのです。
以上です。
はい、プチン。
:関連記事:
可愛い~!
「可愛い」の意味、用法は変わりつつあるのかなあ…。
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