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2008年2月

定期風邪

E1790

今月も、無事に風邪をひくことが出来ました。

昨年の11月くらいからこっち、
毎月必ず、調子のいいときなんて月に2回も風邪をひいております。
いやほんと、あんまりよく風邪をひくものだから、
風邪をひかない期間が長いと不安を抱くようにさえなりました。
ウソですけど。

今回も、どこかから風邪をいただいたようです。
イヤ、風邪ってほとんど「もらうもの」なんですよね。
風邪の根源、いわゆる「ネイキッドウイルス」に罹ることなんて、
そうそうあることではない上に、
それがネイキッドなのか、そうでないのかを確かめる術などないわけだから、
みんなもらっているのです。
結局。
風邪を。

症状としては、
珍しいことに頭痛と寒気が高い割合を占める風邪です。
いつもですと、大体ノド、ハナあたりから罹患現象が始まるのですが、
毎回同じではマンネリ化の恐れもあると気を利かせたのか、
切り口を変えてきた模様です。
正直、その工夫は要らない。

風邪をひいた時の楽しみといえば、
体に入った病原菌をイジメ抜くことです。
薬をあまり好まないため、いつもだいたい食事療法で治すのですが、
ショウガをつかった料理を食べるときなど、
これで病原菌も大打撃だろうと思いつつ食べると、
美味しさもプラシーボ効果もひとしおだと思われます。

皆様も、何卒ご自愛ください。
今日も読みにきてくれて、ありがとうございました。

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ムスメ、地上に立つ

E1789

寝返り、ハイハイ、伝い立ち。
これまでいくつもの動作を獲得してきたムスメが、
ついに「立つ」というアクションを手に入れた。

ほんの10秒ほどだけれど、
どこに手をつくわけでもなく立っている。
意外にフラフラもしないどころか、
二本足のみで立っているという新鮮さと達成感を、
自らの拍手でもって称える余裕まで見せている。

しかし、子供が立つというのはいっそう感激が強い。
寝返りやハイハイ、伝い立ちまでは「赤ちゃん」の動きなのですが、
「立つ」というのは「幼児」のそれだからです。

赤ちゃんとしての日常のなか、
時折垣間見える幼児の姿に、
よくぞここまで育ってくれた!
と拍手喝采を贈りたい今日この頃なのでした。

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起き仕事と寝仕事

E1788

ムスメが起きている時間でもできる仕事と、
ムスメが寝ていないとやりづらい仕事がある。

子供はいつ寝るか、いつ起きるか分からないので、
とにかく寝たとなればすぐにそちらの仕事に取り掛かり、
起きたらあちらの仕事を片付ける。

スケジュールは、すべて子供が決めているといっていい。
まさに子供中心の生活である。

幸いなことに、
ムスメはけっこうよく寝る子で、
病気もほとんど患わないため、
なんとかかんとか両方できている。

本人に自覚は無いだろうが、
親孝行なムスメである。

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育児戦線異常アリ

E1787

前線より本部へ。

ムスメ軍の無尽蔵とも思える体躯および身体能力増強により、
防衛線の後退を余儀なくされております。

本日0930(マルキューサンマル)、
補給の要所であった『台所オニギリファクトリー』がムスメ軍の急襲を受け、
補給物資おにぎり2個が攻撃を受けり。
被害は、シャケおにぎり中破、シラスおにぎり小破、お皿小破。
戦線に先着した本隊によりムスメ軍を後退させ、
物資の奪還に成功するも、一部は鹵獲(ろかく)された模様。

ムスメ軍の行軍速度、膂力は増大の一途であり、
射線、射程距離とも、完全に確保されつつあり。
『オニギリファクトリー』においての戦線維持は不可能と判断し、
同所を1020(イチマルニーマル)をもって放棄、
『流し台』において、戦列の再構築を図る。

ついては、至急、人員および物資の補給を要請する。

~~~~~

本部より前線へ

我が軍に余剰兵員および物資なし。
貴隊の適切な判断をもって対処せよ。
(ピーガガッ!)

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説得力

E1786

説得力というものは、
立って発言しなくちゃ生まれない。

行動の裏づけのない言葉は、
どんなに巧くても綺麗でも、
ほとんどが屁理屈なんだと思う。

自分に最低限の説得力が無いことほど、
苦しいことはないと思うなあ。

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手づかみの自主性

E1785

ただ口を開けて待っていることに飽きたのか、
近頃はスキあらばご飯をムシャリと掴みにくる我がムスメ。

自主性の発露は喜ぶべきことであるが、
納豆ご飯までもミチャリと掴んでしまうため、
食事がよりエキサイティングになるのであった。


掴んで食べられるメニューを増やしていきたいと思います。

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器用な夜泣き

E1784

ウチのムスメは、一度寝るとなかなか起きない。
夜泣きもほとんどしないのだが、
先日、真夜中に「ふやあ~!」という声で目が覚め、
おや、夜泣きとは珍しい…と見たところ、
枕もとに正座して、
なおかつ寝たまま泣いているではありませんか。
ウツラウツラ、カクンカクンしながら夜泣きしている。

器用なヤツ…。

と思いつつ布団に潜りこませてみたところ、
何事もなかったかのように、再び寝入ったのでした。

なにもそこまで無理して夜泣きしなくてもいいのに。

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拍手喝采!

E1783

相手のいいところを見つけて褒めるか、
悪いところを探し出してけなすか、
どちらに重きを置くかで、自分自身も変わってくると思います。

他人を褒めるということはその人を認めるということで、
価値を認めれば、素直にそこから何かを得ようとする。
見習い、学ぼうという意欲が湧く。
プラスの作用が働くわけです。

でも、悪いところばかりあげつらっていると、
自分はああなりたくない、ああじゃなくてよかった。
という短絡的な安堵感、負方向の勝利感ばかりに酔って、
足を出すために体重を前に傾けることさえ矛盾の恐れを感じることとなる。
自分の中にどんどん通行止めを作ってしまうと思うんだな。


褒められることも大事。
チヤホヤは、たくさんされたほうがいい。
チヤホヤという言葉は、
脚光によって出来た影のように使われがちですが、
たとえそうだとしても、
それを浴びるべく舞台を目指すための、
大きなエネルギーになるからです。


素直に褒めて、
褒められたらちゃんと受け入れる。

もっと大事にしてきたいことだと思うのでした。

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触らぬ神に祟りなし

E1782

パソコンから遠い人ほど、
神秘的パソコン万能信仰が強いように思います。

パソコンに対して、
「パソコン大明神様、こういうモノを出してください!」
と強く念じ、ボタンをピコピコ押す儀式を奉納しますと、
パソコンが七色に輝き、
自動的に目的のブツを洪水のように生成してくれるものだと信じているフシがある。

そういう信仰の前では、
パソコン作業者はパソコン大明神に仕える神主のようなものに過ぎず、
手にマメすることも額に汗することもなく、
パソコン大明神のもたらした奇跡を、
己の仕事と言い張る不届き者、という見解も生まれかねないわけです。

しかし、パソコンの作業風景が誤解を招きやすいのも事実。
何しろ、モニターの前でボタンをポチポチやっている姿は、
ファミコンに興じている様子に酷似していないとは言い切れない
可能性が拭いきれないからであり、
せめて、キーの一つ一つがやたら重くて大きいため、
一つ打つのにツルハシなりハンマーなりが必要ということになれば、
労働に励んだシルシとして分かりやすい手のマメなり額の汗なりが演出できるのですが、皮肉なことに、パソコン仕事で得られる疲労は、
目の充血くらいにしか出てこないことから、
余計にファミコン励行と区別がつきづらくなってしまうのです。

そういった誤解を解消するためには、
神秘的パソコン万能信仰者の方にも、
実際にパソコン作業をしていただくのが一番の近道だと思われるのですが、
敬虔な信者であるほど、
神は畏れ多いものとして近づきたがらないため、
両者の溝は、平行線をたどるのみなのであった。


でんでん。

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ゆっくり早く

E1781


ロクロの技は、早いほうがいい。
と思っています。

回しながらモタモタいじっていると、
粘土の中にどんどん水が入り込んで、
粘土が柔らかくなってしまうからなんですね。
柔らかくなると、せっかく立ち上がった粘土がダラリと下に戻ってしまう。
戻ってしまった土は、もう上にはあがりませんので、
成型分に取った粘土玉の中で、
カタチにならない土、つまりロスになってしまうのです。

ただ、早くあげたいからといって、
ロクロを早く回してグイグイあげてしまうと、
ノタ目(指のあと)が尖ったり、
器の肌がのっぺりと寝てしまい、
「硬い器」になってしまう。
そういう表情が欲しい時はいいのですけれど。

ゆっくり回して、しっかり手の中に土を掴みつつ、
ドベ(潤滑泥)を切らさないように、
「するする」と、掌から粘土が捻り出てくるようにゆったり挽くと、
ほっこりと土のツブが立った器になるわけです。

えー、つまりですね。
早いということは、分かりやすくスゴイんですけど、
ゆっくりのほうが難しいんですよ。

ゆっくりとモタモタは似ていますけど、
中身に理解が入っているかいないかという
けっこう大きな違いがあるわけで、
傍目にわかりづらくてややこしい。

つまり、ロクロの技は早いほどいいけど、
速さを追求すると、傍目にゆっくりになってくるのが面白いな。
と思うわけです。

う~ん、マニアックな上に分かりづらい。

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なんかちょうだい

E1780

私が、嫁さんにチクリという時は、
「かまってほしい時」なのです。

それも、手っ取り早くかまって欲しい。

好意のみを持って他人の気を引くことは、
それなりのセンスや工夫、
浸透させるための時間が要る。

そういったものを省略したい時。
とにかく今すぐちょっぴりでいいからかまって欲しい時。
誰にでも手軽に出来る方法、
もっとも安直で無思慮な方法として、
「相手を怒らせる」
というものがある。

少しむっとさせて、
反撃を「もらう」のだ。
どんな反撃(モノ)であっても、
あなたの事が大好きだから幸せなのです。
「もらう」という目的は達したのだから。

そんな小中学生のような安易な快感を、
なりふり構わず得たい時がある。
嫁さんはその辺をよく心得ているので、

「仕方がないわねえ。」

とばかりに、
愛情のこもった必殺技を繰り出してくれる。

た、たとえ痛恨の一撃を食らっても、
それを「もらえた」のだから、
解釈の理屈として、すなわち勝利といえるのです。

ぐふっ…!


~去年の今日は~

食後の小芝居
日常によくある二人芝居。

~~~~~

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道具はともだち

E1779

モノを手に持って使うことを覚え始めたことがよほど嬉しいらしく、
「使う」という概念が備わっていなかった以前に比べて、
よくオモチャで遊ぶようになったし、
大人の使っているものを見ると、
あたしにも使わせろと迫ってくるようになった。

わが身を顧みても覚えがあるので、
気持ちはよく分かる。
大人の使う道具はどれもかっこよくて、
その道具から、魔法のようにすごいものができるのだ。

自分もそれを使えば、
きっとすごいことができるに違いない!
と思えるのだろう。


道具は使うほど応えてくれるけれど、
使いこなすためには、自分が成長しなくてはならないし、
使い方を誤ると不測の事態を呼び込むことともなりかねない。

ムスメの場合、道具との付き合いより以前に、
いまのところ自分自身の成長に専念しなくてはならないので、
今のところはオモチャ以外の道具使用は
なるたけご遠慮願う方針で行きたいと思うのであった。


~去年の今日は~

カート出動!
新生児のモノを買いに行ったら…

~~~~~~

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ソウルフード

E1778

小さな頃から慣れ親しんできた味や食べ物のことを、
『ソウルフード』というそうだ。

魂をつくった食べ物。
根っこにある味。
ということだと思う。


子供にご飯を作る楽しみの一つは、
好物との出会いを仲立ちできるということで、
これからのながいながい時間、
濃密な関係を築くであろう味わいを発見した時の喜びを目撃できるということが、
なんとも嬉しい。

なんてことを思いながら、
今日も納豆をニチニチとかき回すのであった。

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足裏の快感

E1777


足の裏というと、大抵何かしら老廃的な香りがするものである。
敢えてその中に、かぐわしさを読み取るというのも、
大人としての大事なステップではあるのだが、
まだ、靴を履いて足が蒸れたりすることもないムスメの足は、
微量の乳系の甘みに、せっけんのあと。
真新しい皮脂の香りがくるりとまじわり、
足の裏とは思えない愛くるしい匂いがするのだ。

小さな常識、先入観を覆されると、
人間は驚きの快感を得る。

つまり、夫婦は乳幼児の足の裏に、
快感を発見したのであった。

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祭りのあとで

E1776

祭りのあとで、しみじみと。

我が家のバレンタインは、子供が寝たあと、
嫁さんがくれたチョコで、夫婦水入らずのお茶タイムを楽しむ。

気持ちの投下に一喜一憂するのもいいものだけれど、
いつものお茶に、
すこしだけ彩りが加わるバレンタインも、
また心地よい。

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脱出イリュージョン

E1775

ついに、抱っこ脱出イリュージョンを体得した我が家のプリンセス。

それだけ知力も体力も発達したということで嬉しい反面、
ますます厄介な部分が増えてゆくことに苦笑いを禁じえない。


~お知らせ~

『このブログがすごい!』ブログが
人力ブログポータルサイト『スゴブロ』としてリニューアルオープンしました。

今回の特集は、

『スゴブロ2008』ベスト20
第一位ブログ『ココロ社』さんインタビュー

などなど。

特に『ココロ社』さんの面白さはまさに「すごい」の一言です。
是非一度、ご覧くださいませ。

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自主トレーニング

E1774


「もう少しで出来そうなこと」

のほうが、努力のし甲斐がある。
たくさんあるモノの中からそれを見つけることも大事だし、
たぶんもう少しで出来ることなんだけど、
「今は出来ないこと」
だということをちゃんと認めて、
面倒くさがったり、
バカにしたりせずにしっかりやる事がとても大切だと思う。

世の中のさまざまな達人は、
「もう少しで出来そうなこと」
との付き合いかたがていねいなんじゃないかと思うんだなあ。

たぶん。

世間はバレンタインらしいので… 14年前のバレンタインデー

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投げ込まれる店舗

E1773

通信販売とは、
自宅にお店のほうが来てくれるという大変画期的かつ利便性の高い販売形式である。

カタログも、
魅力的な商品の数々がフルカラーの写真つきで紹介されていて、
大変読み応えのある内容となっている。

…のだが。

なにぶん分厚く、重い。

静かな日常。
突然玄関から
「ガコン!!ゾ!ゾ!ゾ!バシャ!!」
という音がして、
なんだなんだ!?と様子を見にゆくと、
大体通販カタログが郵便受けでこすられたビニールをヨレヨレにして、
靴の上に太々と仰臥している。

そんなにしょっちゅう通販で買い物をするわけではないので、
アレいいね、コレいいね、とひとしきり盛り上がったあと、
そっと古本の場所に安置されるわけだが、
うっかり気づかずにいると、
店舗の階層がどんどん増え、
重厚なビル群が屹立することとなるのだ。

その様は、
格差社会の深層に棲む我が家に突如そびえ立った、
場違いなバブルの塔といってよく、
神の怒りは雷(いかずち)となり、
蹴つまずいた足の指に降りかかるのであった。

ぎゃふん。

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スプーンの使い方

E1772

近頃、ムスメはスプーンを持ちたがる。
「これくらいなら自分でも出来る!」
という自信が出てきたのだろう。

食べグズリや、気が散ってなかなか食べない時など、
持たせて口に運んでやると、興味を持ってしっかり食べてくれることが多い。

そして、静かなブームの「あーん返し」。
いつもされっぱなしの「あーん」を、
ここぞとばかりに返してくる。

本人は、単純に真似しているだけだと思うのだけれど、
どうにも好意にしか映らない立場としては、
食べるだけでなく与えることも学習しているなんて、
ウチの子は天才なんじゃないかしらとか、
途方もなく優しい子だよ!
と、理性を敢えてブチ破った勘違いの渦に身をゆだねるのであった。

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運動不足の多重被害

E1771

降雪被害の恐ろしいところは、
常に二次被害、三次被害の危険性をはらんでいる。
ということである。

ミイラとりがミイラ…ならぬ、
腰痛をカバーするつもりが肩痛誘発…
などということも、
北国の厳しい自然環境の中では日常的に起こり得るのである。

そういう過酷な状況下において、
もっとも賢明かつ的確な選択肢は、
「動かずに救助を待つ」
ということであり、
可能なら、食料を確保、摂取し、
体力を温存するというのが望ましい。

しかし奇妙なのは、
状況に対応するため最大限の対処を励行しているにも関わらず、
努めれば努めるほど、
二次、三次被害の発生確率が増大するのである。
これはもはや、パラドックス(逆説)といっていい。

まったくもって理解しがたいこの「ねじれ現象」に、
なにかしらの解法の糸口を見出すべく、
今日も定点研究にいそしむのであった。

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加速する時間

E1770

二十代の頃はそれほど感じなかったのですが、
三十代に入ってグンと加速したかと思いきや、
子育てが始まったら時間の流れが速いこと速いこと!

朝、起きて一日が始まったと思ったら、
仕事やら育児やら家事やらをグワワワワ!っとこなしているうちに、
時計の針がグルグル回ったことさえ気づかずに、
夜を通り越してまた朝になっている。

これほど時間の流れが速いと感じたのは初めてです。

もちろん、
時間の流れが速いことに焦りもするのですが、
時間が流れるほどムスメも育つわけで、
そちらはすごく楽しみでもある。

ソワソワとワクワクが同居する感覚。
面白いものです。

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口腔確認

E1769

生まれてからこっち、
一番馴染みのある行動が「口に運ぶ」ということだし、
いまのところ、当人にとっておそらく一番重要な判断基準は、
「食べられるか否か。」
ということだと思うので、
物事を確かめる時に、
自らの持つ一番得意かつ有用な方法を取るのはもっともなことだとは思うのですが、
監督する立場からすると、これが非常に怖い。

日ごろ、食べたら危ないものや、
口に含むに好ましくないものは、
想像の働く限りよけたり隠したりするのだけれど、
なにしろ日々、進化成長する存在を向こうに回しているため、
ある程度の泥縄展開が余儀なくされることとなる。

育児って、人一人の生命と健康の維持、
危険回避までの一切を委任されるわけで、
何かがあってからでは取り返しがつかないこともざらにある。
しかも、その「何か」がほんの1秒ほどで起こる可能性があるのですから、
大げさでもなんでもなく、
丸一日中、毎秒の注意と緊張が要求されるのですね。
これも、実際にやってみてしみじみ感じました。

でも、
生活上、モノを完全に排除することも、
まして子供の口の取り外しができるはずもないので、
やがて、「口に含む」以外の確認方法を会得してくれるまで、
根気よくイタチを追いかけ続けるのでした。

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子供は見ている。

E1768

色々なことを真似して、
色々なことを学んでいる最近のムスメ。

日々、大変な勢いで様々なことを吸収してゆくことにも驚かされるのですけれど、
真似のし様が意外なほどに細密で、
その観察力にも驚かされます。

しかし不思議なのは、
こちらが「覚えさせよう!」
と狙って見せるしぐさはあまり覚えないのに、
自分でも気づかないうちにしていることはよく見ているんですよねー。

たとえば、ビールをングング飲んで、
思わず漏れた
「プハー…!」
という快感の吐息なんかは、
すぐさまコピー完了!
となってしまう。

それはなんでなんだろう?
と考えていたのですが、
たぶん、子供って大人が思う以上に、
他人の感情を敏感に察知しているんじゃないかと思うんです。
だから、感情のあまり入っていない所作には反応せず、
ついつい見せてしまった感情濃度の高い動作に注目して、
すぐさま学ぶのではないかなあ~…。
と思いました。

大人の場合、
相手が期待していることを察して、
その上で応えるのが「空気を読める」ってことなんですけど、
子供は子供で「空気を感じて」いるんでしょうねー。

だとしたら、
できるだけ朗らかに、
明るい感情をたくさん感じさせてやるのも、
親の仕事の一つなんだろうなあ。
とも思いました。

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見えない功績

E1767


「ゴメンで済むなら警察はいらねえ。」

というわけで(どういうわけで?)、
ちょっとした用事があって、
謝っても許してはもらえない総本山、
警察署に行ってまいりました。

ん~、たしかに、
中は謝っても許してくれそうにない雰囲気…。
いや別に謝りに来たわけでも、
許してもらいに来たわけでもありませんけれども。

当たり前なのですが、
受付の方から奥にいる方まで、
屈強な骨柄に鋭い視線、
なおかつ色々な権限を帯びた方々がひしめいているわけで、
ニコチン消費量の高そうな空気もあいまって、
一般のそれとは2段階ほど違う、
張り詰めた雰囲気があるわけです。

手続きが済むのを待つ間、
なんとなく、怖いもの見たさでチラチラ見ていると、
ギラリと視線があったりして、
あわてて目を逸らしてから、
あ、今のは挙動不審ではなかったか…?
職務質問されたらどうしようか…
叩いて出るホコリはあっただろうか…
などと考えているうちに、
なんだか普段の所作までおかしくなっているような気がして、
最後にはもう、
とにかく一般的な解釈での善良な一市民をアピールし続けるしかないと、
ひたすら自販機と指名手配のポスターを凝視し続けておりました。
(かえって怪しいといえなくもない。)

でも、そういった威圧感はこちら側の人間を守ったり、
よからぬことを抑止したりするために身についたものなんですよね。

日常、割りと触れやすいテレビやラジオでは、
不正や不祥事ばかりが伝えられるため、
ついつい批判的な感情を持ってしまいがちだし、
高圧的に見えたりもするので、
反感を覚えることもありますけど、
そのおっかない睨みのおかげで起こらずに済んでいることって、
本当はすごく多いのだと思う。

「見えない功績」
というものに、
もう少し、感謝したほうがいいよな~、
と思った次第です。

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ささやかなご褒美

E1766

体長は、手の届くモノの増え方で。
体重は抱っこする腕のシビレで。
筋力は行動範囲と移動スピードで。
知恵はまさかのイタズラや、
剥き身の好奇心で。

日頃触れる成長のほとんどは、
絶え間ない緊張と焦り、体力の消耗なんかを伴って迫りくるため、
対処に追われるまま、夢中の日々に埋もれていってしまう。

しかし、
ある時思いがけないところで、
確かな成長の手ごたえを、
手のひらにのせてもらえる時がある。

それは、
親であることの妙味や珍味、
あるいは苦味や酸味をさんざんに濃縮して出来た、
まさに醍醐味といえるのではないかと思う。

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ふたりの海

E1765

以心伝心。

それは、
日頃の洞察と深い理解が生み出す小さな予知能力。

夫婦の意識は、
小連絡用に展開されたメッセンジャーの中で溶け合い、
光ファイバーケーブルの中に、
暮れなずむ2進数の浜辺を作り出した。

愛情という名の呼吸が生み出した営みか、
育児と仕事に追われる毎日からのわずかな逃避か。
それは二人にも分からない。

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ほうれん草のフルコース

E1764_2

不幸中の幸い。

ムスメに(今のところ)怪我がなかったことは、
まさに不幸中の幸いでした。

後部座席に乗せていたため、
もし、相手の車がもっと大きかったり、
猛スピードだったとしたら…
考えるだけで背筋が寒くなります。

おそらくですが、
まだ体が柔らかい時期であるということと、
後部座席のベビーシートに乗せていたため、
座席のクッションとベビーシートとの間で
二重に衝撃緩和作用が働いたのだと思われます。
グッジョブ!ベビーシート!
(しばらく経過観察ですが…。)

しかし、こういうことがあると、
報告や連絡をするところが多いこと…。

まさに”ほうれんそう(報告・連絡・相談)のフルコース”
を味わいました。

コトがコトだけに、
なるほど、ほうれん草はほろ苦いと再確認した次第です。

皆様、くれぐれもご用心くださいませ。

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事故処理

E1763

思えば、自動車事故に遭ったのは実に13年ぶり。
最近は子供を乗せているということもあるし、
もちろん自分に何かあってもいけないので、
ものっすごく気をつけて運転していたのですが、
やはり遭う時には遭うんですよねえ。

ところで、
よく、車の後ろなどに

『子供が乗っています。』

という表示を掲げて運転している車がありますね。
以前まで、特に気にも留めていなかった…のもあるし、
そんなことを伝えてなんの意味があるんだろう?
と疑問に思っていたのですが、
自分が子供を乗せるようになって、なるほどよく分かりました。
あれは、

「慎重に運転していますので、流れに乗れない場合がありますよ。」

という事情表示なのですね。

たしかに、
見通しのよい直線などではなんとか流れに乗って運転できるのですが、
急制動の可能性のある路地や、
横重力のかかるカーブなどでは、
かなり慎重な速度で走らないといけません。
首が据わっている子供でも、
制動時にかかる重力はけっこう負担なのです。

もちろん、知識や理屈の上ではそうなのかもなあ…
と想像くらいは出来たのですが、
やはり、自分が実際にその立場に置かれると、
身にしみて理解できます。

車中の子供は、
鉄が流れる川の中、
浮木に座っているような存在なんですよね。

川の住人が、
特に気をつけなくちゃなあ…。
と、しみじみ感じました。

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追突事故に遭いました…。

E1762

交通事故は突然にやってくる。
まるで、平穏な日常を突如として寸断する鋭利な刃物のように。

ムスメを同乗させての帰り道、
片側二車線の道路を、
脇道に入るべく、信号と対向車の間隔を計っていたところ、
突如として車内全体に

「ダン!!!!!」

という衝撃が走った。
一瞬、聴覚がマヒし、
その分なのか、運転席の各種スイッチが、
やけにハッキリと目に映る。

1秒足らずで耳が機能回復。
先ほどまで聞くともなく聞いていたFMラジオが、
非日常に落ちた我々にかまうことなく、
リクエスト曲に応えている。

ワンテンポ遅れて、娘の泣き声が車内に響いた。
泣きの声色から、緊急事態というより驚きからの泣き声に近い、
と判断しつつ、ムスメを励ましながら、
後ろの加害車の車種と色、ナンバーを確認、
指でフロントガラスにメモしたのだった。

~~~~~~

車に乗って交通社会に参加している以上、
事故に対しては、
常にある程度の覚悟とリスクは背負わなければならない。

しかし、今回に関しては悪いことにムスメが同乗していたということがあり、
自分ひとりが事故に遭った時の10倍以上、
胆を冷やすこととなりました。


不幸中の幸いとしては、
事故の直後、ムスメだけすぐさま病院に運び、
「今のところ異常なし」という診断をいただいたので、
とりあえず一安心…ということ。
(ついでに、私も今のところ異変はありません。)

なお、事故に関しては、
信号待ち中、完全停止状態での追突ということで、
過失割合は10:0で相手の過失、ということになりました。

自分がいくら気をつけていても、
事故を「もらう」事があるのが交通社会。

特に、ある程度のお金さえ出せば、
誰にでも大抵運転免許を売ってしまうような昨今。
傍から見てもコイツは運転に向かないだろ…と思しき人間も、
自動車という「数トンの道具」を動かしています。

運転者はもちろん、歩行者といえども、
「車を動かしているのは、訓練を積んだ人だろう。」
「相手が避けるべきだろう。」
という先入観や思い込み、
あるいは権利主張をいったん捨てて、
すこし懐疑的に交通社会と付き合ったほうが、
不必要な悲劇を生み出さずに済むのでは…
と常々感じております。

皆様、何卒お気をつけくださいませ。

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男親の危機

E1761

女性用トイレにベビーホルダーや、
オムツ替え用ベッドが設えてあることで、
「あそこの施設は良い。」
という評判が発生するくらいなのですから、
男性用トイレに同様のものがあるという可能性はかなり少ない。
ということに当然なる。
(全国的に調べると設置されているところもあるようですが、
いまだごくごく少数であり、個人的に今まで一度も見たことがありません。)

つまり今の世の中、
男親が赤ん坊連れの出先でトイレに行くことは、
ほぼあり得ないこととなっているらしい。

しかし、そんな禁忌をしょっちゅう破る身としては、
ムスメと二人の出先において、
便意を催した時の焦燥感といったら、
まさに抜き差しおよびのっぴきもならず、
前門の虎、肛…いや後門の狼チックな絶対窮地モード突入!
という事態に立ち至り、
オムツ装着者であるムスメのエブリタイム・トイレ・ナウ!
っぷりに、羨望の念さえ覚えることとなりつつ、
便器横にいちいち散布型猛毒性依存物質摂取補助具(灰皿)を取り付けるくらいなら、
一男性トイレに一基でいいからベビーホルダーを付けてくれまいか。
と熱望する次第であります。

大きいショッピングモールなどには、
全ての設備が整った多目的トイレなどもあるのですが、
絶対数が少ないのと、気が引けるのとで使いづらいんですよね~!

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