ついこないだ誕生日を迎えて、
また一つ歳をとりました。
んでも今度の誕生日って、
「ああ、もう○○歳になったのか~…。」
とかいう感慨っていうか、
感傷みたいなものがあんましないんですよねー。
階段を上がっているっていうより、
坂道を登るような感じ。
段差を登るような瞬発力は要らないけど、
いつもだいたいつま先があがってるぞ、
という感覚。
それはなんでかな?
と考えるに、
結婚したり子供が出来たりして、
時間というものに対するぼんやりとした焦りが薄れたのかもしれないし、
自分の老化より子供の成長のほうに興味がいっているため、
視界の端にぼんやりといった風景になっているのかもしれない。
年齢という時間軸に対する焦りは薄れても、
その他の焦りはしっかりとのしかかってくるんですけどね。
まったく上手くしたものです。
誕生日にはいつも嫁さんからプレゼントをいただくんです。
ちなみに、今年のプレゼントは靴下セットでした。
一見、誕生日の贈り物っぽくない品物にも見えますが、
相手が実用的なものを喜ぶことを熟知した、
大変ナイスなチョイスといえます。
まあ、実用品もここまでくると日用品と言えなくもないですが。
「トシさん、いつも穴の開いた靴下履いてるから。」
嫁さんはこう言います。
たしかにそのとおりなのです。
がしかし。
私にも言い分があります。
穴あきズボンはヴィンテージ・ジーンズと呼ばれるのに、
どうして穴あき靴下はヴィンテージ・ソックスとならないのか。
そこに納得しうる答えを見つけるまでは、
ヴィンテージ・ソックス着用をやめるつもりはありません。
ウソですけど。
それはさておき、
嫁さんのプレゼントはだいたいいつもこんな感じに、
「日頃のつくろい品」なわけです。
何しろホツレや虫食いだらけの旦那ですので、
私がなんとかしなきゃ!という意識が働くのでしょう。
こないだも携帯電話のストラップのヒモ部分が壊れまして、
まあ、肝心のところが無くなったけれど、
使って使えないことはないかと
従来の長さから80%ほどカットされた
『ストラップの"ス"部分』
的なものをを常用していたところ、
クリスマスに嫁さんがストラップをプレゼントしてくれました。
しかも、ヒモ部分がピン止めされている丈夫なヤツ。
う~ん、よく見ているなあ…。
と毎回感心させられます。
嫁さんのプレゼントは、
物品で言うなら毎回ささやかなものなのですが、
それを選ぶに至る日頃の観察が嬉しい。
つまり、プレゼントそのものは氷山の一角であり、
その下には思いやりの巨氷が体積たっぷりに沈んでいるわけで、
さしずめ私はその氷山に乗り上げた愛の難破船なわけです。
難破しちゃあいけませんね。
余談ですが、
もらった靴下はとても変わった形でした。
履き心地はとてもよかったのでお礼を述べたところ、
なるほど、プレゼントと試着意見の調査を兼ねていたのか。
ウチの嫁さんは抜け目がない。