緊張の一瞬
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言葉で誰かに意志を伝える時に、行動と実績の裏づけが必要であるように、
何かを本当に理解するためには、経験から得た実感が必要なのだと思う。
親が子供に遺してやるのは、体と心で十分。
少なくとも、自分はそれだけで満足しています。
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陶芸仕事の時は工房に。
絵仕事の時は自宅で。
もちろん、相応の工夫が必要ではあるけれど、
子供を世話しながら仕事が出来るってのは、とてもありがたいことである。
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いまだ後退オンリーのムスメ。
しかし、最近ちゃぶ台や座椅子に、
バックで車庫入れするという特技を編み出した模様。
実家の庭に生えている栗の木に、
栗がボンボンと実っていました。
茹でたものを食べてみましたが、
まだあまり甘くなかったです。
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薄くロクロを挽くというのは、
ある種腕の見せ所ではあるのだけれど、
ほとんどの場合、バランスや用途から、
厚みに緩急をつけることとなる。
そこ行くと急須なんかは割りと無条件で「薄いほうがイイ。」
という珍しい品物なので、気合を入れて薄く作るのですが…
難しいものです。
トップページ下部『おまけ十二支イラスト』に、【巳】を追加しました。
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陶器は特に、
作り手の目的と買い手の目的が一致しないことも多い。
そこがまた面白いのですが、
今回のコレは、小さい鉢植えを入れるのに面白いからと
買っていかれたそうな。
メインページ下部『おまけ十二支ランダムイラスト』に【辰】を追加しました。
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本人の意思で話しているわけではないのだけれど、
思わぬ言葉が飛び出して面白い。
許せない味、許しちゃう味
今でも、温め直しの味噌汁は飲めません。
夫婦(仮)
今では「夫婦」と呼ばれて当たり前。
~~~~~~
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この後、肩で受話器を固定して、
右手に哺乳瓶を持ち替えようかと思ったのだけれど、
そうすると先に哺乳瓶が落ちることに気づき、
結局このまま通話を完了した。
アゴの意外なまでの固定能力に気づけたのは収穫だった。
記事下に、『十二支イラストシリーズ』を描いております。
子、丑ときて、今回は寅です。
新作が出来次第追加更新します。
ランダムに変化しますので、お楽しみください。
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最近、『妊婦さんのたらい回し』がよく報道されます。
こういったことがニュースで大々的に伝えられるキッカケとなったのは、
奈良県の事例だったと思いますが、
あの件は、分娩中に母体が身体的異常を発症し、
それを医師が誤診して対応が遅れ、そこから「たらい回し」に遭って、
とても悲しい結末に至ってしまった…ということだったと思います。
でも、最近の『たらい回し』の報道は、
『たらい回し』という共通項だけをやたらに強調して、
「医師の責任放棄」、「医療制度の問題」、「救急の怠慢」
などと闇雲に叩くために「使われている」ようにも見えます。
よく報道の内容を見てみると、
「妊婦には掛かりつけの病院が無かった。」
「一度も受診歴が無かった。」
という事例がかなり多いではないですか。
それでは同じ『たらい回し』でも、問題の本質はまったく違ってきます。
そもそも、「掛かりつけ医師がいない」というのがおかしい。
妊娠が分かったら、普通は産婦人科にかかって、定期検診を受けます。
(「気づかない」ということはまずないと思います。)
それで自然と掛かりつけの病院は出来ます。
もし、最初に受診した産婦人科が分娩できないところでも、
分娩可能な産院を紹介されます。
そして必ずこう言われます。
「一刻も早く分娩予約を取ってください!」
今、分娩可能な病院というのは本当に少なくて、
ウチも予定日の半年前に予約したのに、ギリギリだったくらいなのです。
半年前から準備してようやく長蛇の列の最後尾にねじ込んでもらえるものを、
予約もせずに突然産気づいたからと言って横入りなど出来るわけがありません。
きちんと並んでいる人たちだって、自分と子供の命がかかっているのですから。
まして検診を受けずに胎児の経過も状態も一切分からないヒトを
受け入れる病院など、本来あるわけがないのです。
ただでさえ訴訟リスクが高いといわれる産婦人科医師に、
そんな無理難題を抱えてくる妊婦を受け入れろというほうが無茶です。
そこにきてマスコミによるバッシング、
それに乗じた誤訴、乱訴まであっては、
産科医があまりに気の毒。
それでもこんなにも割に合わない仕事を辞めずにいるのは、
地位でも名誉でも銭金でもなく、
自分が辞めたらどれだけの妊婦さんが困るか。
という医師としての責任感からだと思いますよ。
しかし、中には本当にお金が無くて受診出来ない人もいると思います。
なにしろ妊娠の定期検診は保険対象外なので、一回の受診で5,000円から多いときは15,000円ほどが吹っ飛びます。
それが月に一度、予定日が近くなると月に2~3度、
臨月は毎週になります。
けっこう負担はデカイです。
だいたい、なんで妊婦検診が保険対象外なのでしょう。
あれだけ保険料を取っておいて、それはないだろう…と思ってしまいます。
(特に、つい最近在住地の保険料が変わり、金額が4倍超に跳ね上がったので余計に腹立たしい)
そりゃあ分娩費用分に出産一時金として35万円ほど出ますが、
「普通に」分娩したって、入院費やらナニやらで40万円は軽くかかるわけで、
結局足し前足し前…。
子供は国にとっても得がたい財産なのだから、
少子化が問題として認識出来ているのなら、
せめて出産費用くらい無料にしてもいいのでは?
と思います。
以上、相方(嫁さん)の検診から分娩まで一通り立ちあった人間として、
「マスコミはもう少しバランスを取った報道をしたほうがいいのでは?」
「妊婦さんにも、ちゃんと産む責任ってものがあるよね。」
「国も、少子化少子化って言うなら、産みやすい環境を整えてくださいな。」
ということを主張してみました。
ではまた明日。
追記:
読者様からメールでご意見をいただきました。 本文中では、敢えて『経済的理由』と包括して書きましたが、 払えるけど払いたくないから受診せず、 出産費用さえ踏み倒すような妊婦と、 やむにやまれない事情があって、 受診できない妊婦さんをいっしょくたにしがちな風潮も問題だと思います。
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離乳の時期については大まかに「6ヶ月くらいから」とか、
「1歳くらいまで待ってもいい」など、諸説ある。
親などの大人が食べている様子を見て、
口をパクパクしたり、ヨダレをたらしたりしたら、
それが離乳のサインだよという人もいるし、
反対に「あまり早く食べさせると、準備不足の臓器が食物に拒否反応を起こして、アレルギーを起こすことになるよ。」
という話も聞いたりする。
本当に、妊娠、出産、育児は、百人いれば百通りの知識と経験があるわけで、
資料や経験談を取り込めるだけ取り込んで、
最終的には子供本人の様子をよく見て決めるしかないわけです。
そこがまた面白くもあり、重圧にもなるところだったりします。
というわけで、今のところ慎重を期して、
まだ離乳は始めておりません。
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ムスメが新たな技を体得した。
一つ目は『スピニング・ハラ』。
うつ伏せ状態から手足を上げ、
四肢バタつかせることによって腹を支点に大回転するという美技である。
本人の意思なのか、偶然なのかは不明だが、
回転方向は概ね時計に順ずる姿勢を示しており、
速度は秒針よりかなり遅い。
そしてもう一つ。
ついに移動系の技を獲得した。
それが『ホフク・バック』である。
うつ伏せ状態から『スピニング・ハラ』により目標をロックオン。
前進すべく手を突っ張り、連動して足を浮かすことにより、
やや後退するという現象を利用した荒業。
意志とは裏腹に遠のく目標。
本人の不本意かつ不可解な表情から、
大いに改良の余地があると思われるが、
それがホフク前進に向かうのか、
敢えて『ホフク・バック』に磨きをかけ、
目標物を背後に捕らえての高速移動を目指すのかは本人の意志次第である。
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それは、乳の時間をぶっちぎるほど良く眠っていた時に起こる。
起き抜けの、大空腹を訴える大泣き。
急いでミルクを作って与えるも、空腹の悲哀と自分の鳴き声の興奮で、
授乳断固拒否の構えを取る。
しかし力の限り泣くので、余計にお腹が減る。
さらに興奮、加速度的に嚥下が困難となる。
世にも恐ろしい
『グズりスパイラル』
である。
この泥沼を脱出するには、とにかく落ち着かせるより他にない。
無垢な理不尽を音波に変換した嗚咽に耐えつつ、
これまで培ったあやし技の粋を凝らして、
精神の波長をならしてゆくのである。
この時ばかりはボウズ頭からもあり得ないほつれ毛が出る思いがする。
ひたすら、ひたすら根気よくなだめ、落ち着かせる。
そうしてようやく、
乳児の口が何事も無かったかのように授乳を始めるのである。
…しかし、そういうときに限って、
哺乳瓶の乳首穴(ないし空気穴)が詰まってしまい、
「出が悪い!」と怒りが再燃することもあるのだった。
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絵の作業中、保存を怠っての大失敗というものをそれなりに経験しているので、
コマメな保存作業をクセづけるようにはしているのですが、
集中がイイ感じに乗ってきたりすると、
ついつい保存確保を忘れたまま数時間分作業を続けてしまうことがある。
先日もそんな感じで気持ちよく作業をしていたら、
足がコードに引っかかり、緩めの延長コードの大元がブチッと外れ、
当然のようにパソコン本体とモニターが同時にバツン!とブラックアウト。
その瞬間、2時間分の作業で一度も保存をしていなかったことに気づく。
垂直登攀(とうはん)中、うっかりハーケンを確保しないまま転落した登山家は、
きっとこんな気持ちに違いない。
でも、向こうは命をとられるが、
こっちは数時間の作業がフイになっただけなんだよな。
そう考えると比較的ラッキーなんだよな。
と、無理やりにポジティブにまとめてみました。
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久しぶりに、大き目の台風が東北地方にやってきました。
窓の外では、朝から強い風がビュウビュウ、
雨のカタマリがドザザ!ドザザ!と地表を踏みつけておりました。
悪天候が大好きな我々夫婦としましては、
敢えてこの中を出かけたい!
という欲求に駆られつつ、
子供がいるのでもちろんそれは出来ないまま、
ウズウズとその様子を眺めておりました。
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人間生きていると、良かれ悪しかれ色々なことがありまして、
その上で最近のマイ・フェイバリット四字熟語は
『臥薪嘗胆』
だったりするのですが、
どうも「薪の上で寝ながら胆を嘗め続ける」という様が、
のどかに思えて仕方がありません。
※解釈に若干の誤りがあるかも知れません。
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体をまっすぐにしても、
頭がフラフラしない程度まで首がしっかりとしてきた。
これによって、以前まで両手を必要とされた作業も、
なんとか片手で出来るようになったというのが、
微々たるもありがたい変化だったりする。
ヨダレ塗布は、
マイブームである指しゃぶりと、
興味あるものに触れたいという欲求が交互に訪れるため、
結果そうなっているものと思われる。
まったくもってやりたい放題である。
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明らかに、自分のほうに注意を向けるべく呼びかけている。
声には
「はあうー」
「はーう」
の2種類があり、
対象者(父母)によって特に違いが無いことから、
「父さん」、「母さん」
という呼び方ではなく、
「ねえ!」とか、「あのう」などの類と思われる。
引き続き、彼女の言語能力発達を待ちつつ、
こちらからの積極的な乳児語解釈も合わせて働きかけてゆきたい。
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私の不注意で液晶部分が壊れてしまったマイ・携帯電話。
メーカーに修理をお願いして、
程なく元通りに戻ってきたのですが、
今度は何故かアンテナに不具合が出るようになった。
そこで再修理をお願いして、
先日ショップに受け取りに行ったところ、
受け渡し直前の動作チェックで、
依然アンテナが直っていなかったことが判明した。
メーカーは修理完了時に動作チェックなどしないのだろうか?
という疑問を抱きつつ、
再びマイ携帯電話を待つ日々を送るのだった。
つづく…かも。
(↑文中のリンクは、それぞれの記事にリンクしております。)
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言葉の意味は時代とともに移ろうものだし、
まして、言葉狩りなんてツマラナイことをするつもりもないけれど、
テレビで若い女性のタレントさんが、
自分よりはるかに年長の人間に向かって『可愛い』と評している様子だけは、
なんとも言えない違和感を覚える。
女の子にしてみれば、『可愛い』は最大限の賛辞なのだろうから、
受け手がその意だけを汲めばよいのだろうけど、
意味合いとして考えると、かえって悪口とも取れるわけで。
『可愛い』という言葉の意味が、
どんどん拡大しているように見える昨今。
万能の褒め言葉として、
果たして『可愛い』は定着するのだろうか。
ちょっと興味のあるところなのです。
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少し前までは、ミルクを口に運ぶまで食べ物を認識できなかったムスメ。
でも最近は、空腹を訴えて泣いていても、
目の前でミルクを作り始めると、その様子を黙って見るようになった。
「今、ゴハンを作っているんだ。」
と、おぼろげながら認識し始めたということである。
日々、ものすごいスピードで成長、進歩を続けるムスメ。
昨日まで出来なかったことが、今日は難なくこなしている。
常に新鮮で、目が離せないったらありゃしない。
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