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2006年1月

ある意味セルフケア

E0929

かまう要素が見当たらない時には、
自らそれを作り出すという彼女の創造性には頭が下がる。

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眉間矯正

E0927

もちろん、実話。

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寝不足ハイテンション彼女

E0926_2

寝不足による高揚状態は、

普段、口にしない言動、
普段、目にしない行動をもたらす。

いちいち意表をつく彼女の挙動は、
いつも面白過ぎる。

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複雑な達成感

E0925

連日の絵仕事でショボショボの目が生んだちいさな偉業。

目薬を使い切るなんて生涯初めての経験。

達成感はあるが、
自慢にはならない。

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熟知の代替案

E0924_2

「先輩」
と呼ぶのはイヤだが、

「DX(デラックス)」
なら良いという相方の代替案。

いつもながら私のストライクゾーンを的確に突く
さすがの発想である。

もちろん、
それ以来一度たりとも呼ばれていないことは言うまでもない。

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祝福の期待

E0923

もちろん、酒の席での冗談なのですがね。
 
 
 

祝福の期待というものは、
周りの人がそれぞれこうして、
自分の気持ちのカタチをちょっとだけ変えて、
収まる空間をあけて待ってくれている。

みんなの「心待ち」が、「心のヒダ」が、
ぽっかりと「その存在」のカタチを作っているようで、
気持ちの空間がやたらに温かくて、
その温かさが嬉しくて。
 
 
 
世の中にはまるでブラックホールのように、
触る者、見た者の気持ちをすりつぶしてしまうような、
誰しもを暗闇に落とし込むような出来事があってしまう。

だからこそ、
それと対を成すもの。
誰しもが自分の元に呼び込みたくなるような、
居場所を作ってあげたくなるような、
相対的に反発力にも見える存在というものがとても眩しかった。
 
 
  
…まあ、ゲンジツ的にはスンゴイ重圧なんですけどね。
子供を持つということは、とんでもなく大変だということも分かる。
(今のところ、『アタマの中で』だけど。)

でも今は、その空間の美しさを素直に愛でていればいいじゃないかと。

そしてその都度、面白さとか、
嬉しさとかをつぶさに、時には無理してでも見つけて、
喜び、共有できる人間に、
私はなりたいと思うのですよ。ハイ。

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主役はニガテ…。

E0922

今回の、結納のような意味合いを持っている食事会。

当然なのだけれど、
今回は私と相方が主役なんですね。

ワタクシ、
主役というものがニガテでしょうがない。

そんなことも言っていられないので
がんばって主役を張ってみたのですが、

やはり上手く立ち回れませんでしたよ…。

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想定の範囲だい!

E0921

まあ、
あまりにも予想通りの反応だったので
(セリフまでドンピシャだったのは面白かったが。)
落胆よりも納得の色の方が強かったのだが、

一瞬、

(おおう。)

という目と、口元がニヤリとしたのを、
見逃さなかったもんね。

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三十歳になりました。

E0920

こんなんやってますが、三十歳になりました。
つまり、二十代が終わったということです。

自分が三十歳になるなんて、本当に不思議なものですね。
ちょうど10年前。
二十歳を迎えて二十代に突入した時は、
実感どころか全然ピンと来ませんでした。
法的、世間的にはには成人と認められたけれど、
自分にはなんにも無くて、
何が出来るわけでもなく、
何がしたいかも分からず、
ただ、十九だった自分が「にじゅっさい」になっただけ、
という感想しか持てなかった。
では、三十歳の自分はどうか?
両の手に感じるぬくもりを確かめれば、
ずっと一緒にいたい人がいる。
ずっと続けたいことがある。
なんて恵まれているのだろう!
この二つを得られたことが、私の二十代の意味だったと思う。
それは、
純然と上乗せされたシヤワセ。
生きているという幸運。
 
周囲の大事な人たちに、
「ありがとう!これからもお世話になっちゃいます。」
と。
そして、
これを読んでくださっている皆様に、
「出会ってくれてありがとう!」
と。
この場を借りてお礼を言っちゃったりする、 
人生30年目の第一歩。

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適切な表現

E0919

『頼りないかも知れないが、イイ奴。』

あまりに端的で絶妙な表現に、
その話を聞いたウチの家族からは、

「あまりにその通り。」

「かつて、これほど上手くトシという人間を表した人はいない。」

「相方ちゃんの父上は、只者ではない。」

という、賞賛と感嘆の声が次々あがり、
ワタクシとしましては二の句がつげなかったのは言うまでもない。

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戸惑いの距離

E0917

微妙な時期の、微妙な関係。

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早すぎた露呈

E0915

ネタでもなく、

ましてや狙ったわけでもない。
(こんなこと狙ってやってたまるか。)

自宅を出る直前まで相方と電話で打ち合わせをしていて、

「よし、行くか。」

という決意と共に、
無意識にズボンのポケットにしまったのだろう。
 
 
 
不自然なポケットのふくらみ。

途中で手土産を買ったり、お昼を食べたりしたはずなのに、
まったく気づかなかったのは、
それだけ緊張していたということに他ならない。
 
 
ちなみに、
相方の父上には小さく受け(やや失笑ぎみだが。)
このことをウチの家族に報告したら、
一同大ウケ。

私の伝説の新たな一ページとなりました…。

…喜んでいただけて何よりです。
 
 
 
※ちなみに、時系列的には結構前の話なので、
スーツを着ていないのはそのためです。

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かつての雰囲気

E0914

どことなく影のある女性に惹かれるのか、
それとも単にMなのか。

最近の相方はほの明るいので、
ちょっと前の相方を見たような、
懐かしさを覚えた。

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彼女は知らない。

E0913

本当は、指輪をはめて、そのまま両手で彼女の手を包み、
愛の言葉をささやこうと考えていたのだが、
そんな企てを知る由もない相方の素直なハイテンションっぷりにより、
私の目論みは見事、水泡に帰したのだった。
まあ~、
私も相方もそういうのがニガテな性質なので、
こうなることは当たり前っちゃあ当たり前なんですけどね。
相方いわく、
「寝る時も着けておくー。」
とのこと。
そこまで喜んでもらえれば言うことはないよ。

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勝負に勝って…

E0912

男には、
どれだけ多大な犠牲を払っても、
勝たねばならない勝負がある。

…あるのだが、
甥っ子との駆けっこがそれだったのかは
甚だ疑問である。

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ブーちゃんの由来

E0911

ネコというものは、よほど何かを間違えない限り、
可愛い風体をしているものだと思っていたのですが、
中には例外もいるのだと初めて知った。

まるで、
世のすべてにボヤいているようなニャン相。

しかも、今の時期は冬毛なので、
ブクブクのボサボサのブスブス。

よって私は、彼のことをブサイクのブーちゃんと呼んでいる。

名前についての好悪は、
彼の表情からは読み取れない。

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翼をください。

E0910

急ぐ気持ちのあまり、
「飛んでゆきたい」
という潜在的意識が脚方面に発露したのだろうか…。

見た目には非常に可愛いのだが、
反面、身もだえするほどもどかしい走法ではある。

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『萌え』との遭遇

E0909

現代日本では、こちらの用法が一般的だと判断したのか…?
マイパソコンよ…。

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絵描きの誉れ

E0908

先日、制作に参加させていただいた

『このブログがすごい!2006』が、

私の住む街の書店で見かけられるようになった。
なにげなく立ち寄った書店で、
突然自分の描いたものが目に飛び込んでくるというのは、
けっこうビックリします。

しかし、
そうやって自分の絵が全国に流通しているというのは、
とんでもなくキモチイイことでもあったり。

それは、絵描きの誉れだったり。

でっへへ。

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階段の向こうがわ

E0907

先日、ワタクシの干支、辰の守り本尊であらせられる
「普賢菩薩」に年始のご挨拶をすんべと、
愛宕(あたご)神社というところに行きました。

仙台の街中、
青葉城址の近くにある由緒正しい神社である。

初詣参拝用に整備された臨時駐車場にクルマを止めて、
神社特有の清々とした空気を吸い込む。

鳥居の傍には、大きく
「虚空蔵菩薩」
の文字。

…アレ?

ネットの情報では「普賢菩薩」を祀ってあるところだと聞いたのだが…。
「虚空蔵菩薩」といえば、干支でいう丑・寅の守り本尊。
近いことは近いが、それはこの際関係ないような気がする。

アテが外れたことに少しガッカリしながらも、
高台に向かって伸びる階段の横に設置されていた看板を調べる。

すると、
どうやらここには「十二支八角堂」というものがあり、
その中に「普賢菩薩」が祀られているらしいことが分かった。

ああ、よかった。
来た甲斐があった。

本懐を遂げるべく、
境内に向かって階段を昇りはじめた。
 
 
 
最近、神社、仏閣というものが心地よく感じるようになった。
自然のなかにたたずんでいることが多いというのもあるだろうけど、

清々とした空気に、
知識が無いながらもなんとなく感じる様式美。
ピンと張り詰めた静寂。

とても落ち着く雰囲気がある。

階段をいつものように一段飛ばしで昇りはじめて、
なんとなくそうやって省略することが失礼に思えて、
一段一段、踏みしめるように昇ることにするという、
妙に細かいところばかり謙虚な心持ちになってしまうのだ。
 
 
 
そうして、自分なりに謙虚な気持ちで階段を昇る。

階段を昇るのは楽しい。
特に急な階段は良い。

階段を昇りきった時に、
目の前に広がる景色がどんなものなのか、
とてもワクワクする。

足にありえないほどの乳酸がたまり、
だんだんと昇段がつらく、
億劫になってくる。

ワクワクよりも、
ヘトヘトの割合が大きくなってくる。

ワクワクヘトヘトが、
ワクヘトヘトヘトになってきた。

ついに、足をまっすぐ持ち上げるための大腿四頭筋のリーダー格とも言うべき大腿直筋が鈍い痛みとカッとした熱をもって抗議とし、その活動を停止させた。

しかし、
途中で立ち止まるのは悔しい上に恥ずかしい。
日頃の運動不足をなんとしても認めたくない。

それに、
これしきの試練に打ち勝てぬようでは、
ご利益が望めないような気さえしてくる。

止まれない。
止まっちゃいけない。

不甲斐ない大腿直筋に代わって、
「オレに任せろ!」
とばかりに名乗りを上げたのが外側広筋だ。

まっすぐ上げられないのなら、
横から迂回しようという作戦だ。

なるほど、そうすることにより、
ノンストップでの残り3分の1昇段が可能になった。

しかし、外側広筋の活躍とはすなわち、
内股歩行の遂行を余儀なくされるという意味を孕んでいるのだが、
そのことに気づいたのは今になってからである。

そういった、内なるスペクタクル、
友情物語のようなものがありながら、
とにもかくにも境内に到着した。

肩で息をしながら八角堂に歩み寄り、
「普賢菩薩」の像の前に立つ。

賽銭箱に100円玉を二つ投入。
同じ辰年生まれの相方の守り本尊も私と同じであるため、
二人分のご挨拶をした。
 
 
 
すこし休憩がてら、愛宕神社の境内を見て回る。
愛宕神社に行ったことのある方はご存知かと思いますが、
あそこは結構な高台にあるのですね。

お堂の横は木々の間からガバリと視界が開けて、
眼下に広瀬川のゆったりとした流れ、
その向こうには仙台の街並みが広がる。

視界の端に映る木々と柵が景色を額のように縁取り、
ボッカリと開いた空間の向こうには
有機的な自然の緑。

そこから無機質な人工の建物が幾何学模様のように
ビルビルと林立している。

冬の澄んだ空気がこちら側の静寂と、
向こう側の道路を走るクルマ、
クルマのスタッドレスタイヤの音が
混ざり合うことなく、別の世界の出来事のようだった。

それは一幅の絵画・・・というより、
人の世を俯瞰している何者かの景色を垣間見たような・・・

清涼な違和感と、視界が滲むようなひとりぼっちを感じた。
 
 
 
「こういう景色は一人で見るものではないかもな…。」

と少し後悔しつつ、階段を降りる。
喧騒がすこしずつ音量を上げ、
人の世にもどってきたような安堵を感じる。

たまらなく、
相方とラーメンを食べに行きたい。

とどのつまり、私の神社、仏閣探訪は今のところ、
人間としてのシヤワセを再認識するためのものなのだろう。

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てのひら

E0906

相方がまず口にしたのは、
自分のことより先に、私への配慮だった。
興味は尽きないし、
尊敬もしている。
もちろん大好き。
いろいろ含めて、
この人には敵わない。

※追伸
前回、前々回の記事につきまして、
コメントやメールでのたくさんのご意見、励まし、
誠にありがとうございました。

以後、気をつけますので、
今後とも『言戯』ともども、よろしくお願い申し上げます。

『言戯』@寿

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危険な剣舞

今日の分の記事を削除しました。

理由は、内容の表現バランスが崩れていて、
それによって大事な人が迷惑を被ると判断したためです。

大変申し訳ありませんが、
いただいたコメントも削除させていただきました。

コメントをくださった方々、
本当にごめんなさい。

ご迷惑をおかけしました大事な人にも、
ただひたすらごめんなさい。
 
 
 
いい機会なので、
反省と自戒の意味をこめて、
個人サイトを運営することについて、
感じていることを書きたいと思います。
 
 
 
以前、報道関係の知人に言われたことがあります。

「情報というのは刃物です。無いと非常に困るものですが、使いようによっては簡単に人を傷つけます。寿さんは、非常に鋭利な刃物を持っています。くれぐれも、その扱いには気をつけてください。」
 他で精製された情報を集めるタイプではなく、自分で情報を作るタイプのブログを運営している以上、表現力が問われます。
こんなにもたくさんの人が集まってくれるサイトを作れたということは、
自分は表現力という「鋭利な刃物」を持っているのだろうという自覚もありました。

日々、ずんずんと増え続けるアクセス数はもちろん嬉しかったし、
自信にもなったし、
描くことへの燃料資源にもなりました。

しかし、
一日に読んでくださる人の数が、
3ケタから4ケタ、
4ケタから5ケタとなるうちに、

上記の言葉がのっそりと背中にのしかかってきました。

自分の持つ「鋭利な刃物」には鞘がない。
ということへの恐怖。

何千人、何万人が見る情報を提供するのも、
「送信」ボタン左クリック一発で済んでしまいます。

それはとても怖いことです。
何千人、何万人の観衆が取り囲む中で、
抜き身の鋭利な刃物をもって踊るわけですから。

一歩誤れば大勢を一度に傷つけてしまうし、
一振り違えてなにかと対立すれば、
それはすべて自分ひとりの責任。
守ってくれる組織はないわけで。
 
「好き」というだけで続けるには、
まったく割の合わない、リスキーなことだと思います。
 
 
 
それでも踊ることが好きで、
積み重ねた大事なものをもっと育てたくて、

表現に出来る限りの注意を払い、
記事を早く作ることで公開までの時間を稼ぎ、
推敲に推敲を重ねてなんとかギリギリのところを描いていたつもりなのですが…。

(もう少し・・・!)

という一瞬の欲が手元を狂わせ、
もっとも近い人に刃が走ってしまいました。

これはとんでもないことです。
一番やってはいけないことでした。
 
 
 
今回のことで、
あらためて情報を発信することの怖さを痛感しました。

よく反省し、
考えたいと思います。

ご迷惑をおかけしました皆様に、
重ねてお詫び申し上げます。
 
本当にすみませんでした。
 
 
 
『言戯』@寿

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「あ~ん。」の真相

E0904

イモで釣られたオレもオレだ。

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しょんぼりグッズ

E0903

人の世には、

「しょんぼりグッズ」

というものが存在するのをご存知だろうか。

それは、うっかり手にとってしまうと、
知らず、脳内の後ろ向き志向物質を分泌せしめるという
恐るべき物質である。
 
 
 
「しょんぼりグッズ」。
どの品目に対して「しょんぼり」が発生するかは人それぞれ。
ネガティブぐわい、すなわち「しょんぼり効果」も千差万別である。
 
 
 
ここで、『しょんぼりグッズ』
についてまとめた文献を紐解いてみよう。
 
 
 


「しょんぼりブレインのメカニズム1章第4項」
*代表的なしょんぼり脳の報告例*
 
 
宮城県在住、Tさん(29)の場合。

彼の「しょんぼりグッズ」は「ビニタイ」である。
「ビニタイ」とは、家電製品などで電源コードなどをまとめている
針金をビニールコーティングしたようなものである。

机の端っこなどに転がっているそれをうっかり手にとって、
手でコネながら模様を作ったり、
バネのようなものを作っている。

両の手が、非常に忙しいことになる。
長さの制限が難易度を高くし、
難易度が挑戦的興奮を呼び覚ます。

なんとかこのヒモを意中のカタチに整えようと、
秘術を繰り出す。

手が夢中になる。
 
 
しかしである。
手は忙しいのだが、脳はヒマになる。
手はビニタイに熱中しているが、脳にはその面白みが分からない。

「なんでそんなヒモに夢中になってんの?」

という冷めた視線を送っている。

普段、手と脳は非常に密接な関係を保っている。
当たり前だと思っていたそんな関係が、
ある日突然、ビニタイなどという海のものとも山のものともつかないヒモに寸断されてしまったのだ。

築きあげたものの崩壊。
痛感する己の無力さ。

脳の孤独、推して知るべし…である。
 
 
 
脳は、孤独を感じるとマイナスの思考を始める。
自身の所有する膨大な情報の中から、次々に”しょんぼり濃度”の高いものを集めてくる。
そして、脳は”しょんぼり物質”を分泌。
全身に

『総員、しょんぼりせよ!』

の指令をくだす。
 
 
 
そうして、
『しょんぼり指令』を受け取った手が初めて

「あ、脳をないがしろにしてた。」

という事実に気づき、
慌てて『しょんぼりグッズ』を投げ捨て、
事態は収束の方向に向かうと考えられる。

  ヒーリング・富士本
  『SHONBORI★クライシス~僕らは後ろ向きに生きてゆく~』
  より抜粋

 

ヒーリング・富士本先生もおっしゃっておられるように、
『しょんぼりグッズ』は、手と脳の密接な関係が崩れることにより、
脳が嫉妬状態に陥ることによって効果が発揮すると考えられる。

『しょんぼり状態』は、
成人には避けて通れないものであるにせよ、
人間の精神的衛生面に重大な損傷を発生させることもあるので、
『しょんぼりグッズ』の取り扱いには十分な注意を払うとともに、
自我の確立した年代のお子様をお持ちの親御さんには、
『しょんぼりグッズ』に触れてしまったお子様への早めのケアを
お願いします。
 
 
 
なお、
『しょんぼりグッズ』
に対する反応は、逆説的に手や足などの部位と、
脳の良好な関係を表すものである。

もし、
「自分には『しょんぼりグッズ』に心当たりが無い。」
という方には、
脳と肉体の関係不和の恐れが考えられますので、
一度、「しょんぼり医」への相談をお勧めします。

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相方の平手打ち

E0902

ある意味、究極の不意打ち。

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強風というより横G

E0901

先日、宮城県ではモノスゴイ強風が吹き荒れました。

部屋にいても、

「ピュウウオオオオオオ~!」
という甲高い風切り音が鳴り響き、

「ばばばぼぼばばばばば!!!!」
という暴風の濁流が外壁を打つ。

風に弾かれた雪のツブが窓に当たって
パキパキと芳ばしい音を立てる。

まるで部屋ごと滑空しているような錯覚さえ感じた。
 
 
 
そんな中、
「異常気象愛好家」
の私としては、いてもたってもいられなくなり、
実家のプリンターが壊れたことを口実に
近くの家電店まで初売り見物がてら、
暴風見物がてらでかけたのですが…。
 
 
 
車に乗っていても強風が積雪を舞い上げ、
時おり視界を寸断し、
道路に吹きだまったそれは車輪を絡めとって走行を困難にさせる。
その下には寒風によってカッツンカッツンになったアイスバーン。

ビュービューのツルツル。
怖い怖い。
おっかない。
 
 
 
車から降りてみれば暴風が横殴りに吹きつけ、
カチカチの足元をスキあらばすくいに手を伸ばしてくる。

もはや風というより重力の方向が横に変わったような異世界で、

怖い怖い。
おっかない。

なにより危ない。

でも、
不謹慎ながら楽しかったりしました。


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極寒ウィンター!

E0900

今年の冬は雪が多くない割りに非常に寒くて、
窓や玄関が凍って開かなくなったり、
風呂上りにトイレに行って小用を足していたら
心臓が止まりそうになったり(実話)、
相方の足の小指と薬指がシモヤケになったりと
いたるところに深刻な被害が出ております。

皆様、風邪など召されませんようご自愛くださいまし。

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引き続ける女

E0899

1月3日。
相方と初詣に青葉区の大崎八幡神社に行ってまいりました。

そこで気づいたのですが、
相方は大のおみくじ好きらしい。

実家の家族との初詣で二回。
私との初詣でも二回。

計4回引いて、結果は

中吉
小吉

末吉

とのことだった。
 
 
 
どんだけおみくじ好きなんだよと。

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飽きない関係

E0897

もうすぐ付き合い始めて丸3年になるのだけれど、
考えてみると相方との逢瀬は9割以上が上記の行動である。

ほとんどが二人で話しているだけの時間なのに、
まったく飽きないコト。
ジツはスゴイ関係といえる。

こういう人に出逢えたのは、
きっととんでもない幸運なのだろうと
しみじみ思った平成十八年の元旦。

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ひるがえる意思

E0896

まだ、相方がいないころは、

「あんたはもう、いつまで一人でいるの!」
とか、
「結婚しなさい。そうするといろんなことが分かるから。」
などと言っていたくせに、
近頃はそういう話になると、
「結婚なんてやめときなさい。大変なだけだよ!」
とか、
「相方ちゃん可哀想だねえ。」
とか、
「私もお父さんと40年一緒にいるけど、もう大変だったよ~!」
などと否定的な意見ばかりぶつけてくる。

どうも発言を総合すると、
決して相方ちゃんが気に入らないわけではなく、
私のやる事なすことにチャチャを入れたいのと、
自分がボヤキたいだけなのだろうと思われる。

まったく困ったものである。

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あけましておめでとうございます。

Gasyou04_3_thumb

新年、あけましておめでとうございます~!

平成十八年が始まりました。
十八!

末広がり!

まず始まりからして縁起のいい今年。

きっと私にも皆様にも、
世間や誰かが決めたモノではない、
自分だけのシヤワセが降り注ぐことと思われます。  

皆様と、
皆様の大事な人やものにとって
素晴らしい一年でありますように。

お祈り申し上げます。
 
 
 
では、今年も一年、
「言戯」ともども、
どうぞよろしくお願い申し上げます~!
 
 
 
『言戯』管理人@寿

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