小学校の変貌

先日、小学校へ行きました。
子供を入学させるためでもなく(いないしね)、
ましてや自分が入学するわけでもなく、
出張陶芸教室の講師としてPTAの希望者数名に、
陶芸をお教えするという仕事があったためだった。
久しぶりに入る小学校。
もちろん、自分の出身校ではないけれど、
独特の匂いや、
やけに清々とした空気など、
諸々の雰囲気が懐かしく、
見える景色だけが自分の意識を小学生のそれに変え、
段差の低い階段や、
腰を低くかがめないと使えない水場、
使用するのに工夫が要るミニチュアの机や椅子などの違和感が、
なんだか自分だけが急に大きくなってしまったような、
ガリバー的孤独感をひどく感じてしまった。
違和感といえば、小学校は大きく変わりましたね。
まず、校内へ入るのに、チェックが厳しくなった。
職員室で日付、氏名、入校時間を書いて、バッジをもらわないと
入れないという。
これは、ここ最近の陰惨な事件の影響でしょうが、
以前と比べて、学校というものがより世間と隔絶されたような、
異次元の度合いを増したような、
そんな感覚を覚えました。
子供の数も減りましたね~!
結構な街中の小学校だったのですけど、
一クラス20人くらいしかいないのではないでしょうか。
昔は一クラス50人弱はいて、
それが7~8クラスはあったものですが。
少ない子供が教室の中央に机を寄せているため、
教室の四方が大きく開いているんです。
その不自然なスペースに「少子化」というものが
むっつりと座り込んでいる様を目の当たりにしました。
まあ、自分も今現在、
実際、親になろうかという年代にいるわけですが、
今の時代、子供を持つってのは相当の度胸が要りますからね。
子供を持つのは「ぜいたく」という風潮さえあるのでは・・・?
という感じもします。
そして、もうひとつ。
とても驚いたことがありました。
それは、
「授業と休み時間の境が曖昧になった。」
ということです。
チャイムが鳴って、授業が始まりますよね。
私が小学生だった頃は、子供はいっせいに教室に戻って、
先生が入室し、
「ハイ、それでは国語の授業をはじめま~す!」
となり、日直の子が
「きり~つ!れ~い!ちゃくせ~き!」
ガタガタガタ…と、そういった儀式というか、
キチンとした境目があったわけなのですが、
それがないのです。
子供はチャイムが鳴っても急ぐでもなく、
ゆっくり歩いて平気で先生よりもあとに教室に入ってゆく。
たまたま私の見たところだけがそうだったのかもしれませんけれど。
これには驚きました。
さらに驚いたのが、
「授業中、さしたる用事もないのに教室から出歩く子がいる。」
ということ。
自分の小学生だった頃は、授業中に教室の外に出るのは
急に気分が悪くなった時とか、
トイレがどうしてもガマン出来ない時とか、
とにかく、非常事態が伴っていたものです。
みんなが授業を受けている時の廊下は独特の静寂に包まれていて、そんな中一人歩いていると、なんだかとても悪いことをしているような、ワクワクのようなドキドキのような、
今思えば子供なりの背徳感があった。
しかし、今は違うんですね。
気分に任せて席を立ち、教室の中をうろうろしたり、
廊下をトコトコ歩いたり。
教員も、その子に対して何を言うでもなく授業を続けているのです。
これは、新聞などで話を聞いたことはありましたが、
実際見たのは初めてで、しかも、それが一人や二人じゃない
ということにも驚きました。
自分の頃は、今よりもはるかに人数はいたけれど、
こういう風に徘徊する子供はいなかったなあ・・・。
どんなに風変わりな子でも、最低限、授業は座って受けるという
ルール以前のものだけは守っていたと思う。
反感を承知で書きますが、
授業中、教室内をうろうろしている子供というのは、
まるで人の形をしたケモノのようでもあり、
とても不気味に映りました。
ここに書いたことは、私がたまたま垣間見た光景を、
自分のあの頃と比べて書いているものであり、
もちろん、それは全貌ではないと思うし、
見方が偏っているかもしれないです。
それに、いろいろな人の試行錯誤の途中でもあるとは思います。
これから、同じ世界で関わってくる次世代の人間たちの
養成区を見て、色々と考え込んだということだけ、書いておきます。
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