華麗なるモード移行
楽天の田尾監督の解任については、
もちろん宮城県人として思うところはたくさんあるのだけれど、
それよりも先に気になってしまったのが
相方の所作の端々に垣間見えるオッチャンのそれ。
かなり痛いところを突いたハズだったのだが、
顔色ひとつ変えず、まるでそんなことなど無かったかのように
乙女モードに移行するその胆力に、
あらためて相方の底知れなさを感じたのだった。
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楽天の田尾監督の解任については、
もちろん宮城県人として思うところはたくさんあるのだけれど、
それよりも先に気になってしまったのが
相方の所作の端々に垣間見えるオッチャンのそれ。
かなり痛いところを突いたハズだったのだが、
顔色ひとつ変えず、まるでそんなことなど無かったかのように
乙女モードに移行するその胆力に、
あらためて相方の底知れなさを感じたのだった。
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相方の友人が、最近ウチのサイトを読んで、
私が相方に対して使う呼称「サチ」をいたく気に入ったらしく、
近頃は相方を呼ぶとき、必ず「サチ」と呼ぶようになったという。
もともと私より付き合いの長い友人でもあるし、
大した用事がなくてもニヤニヤと呼ばれるという証言から、
冷やかし成分が多分に含有されていることも十分に考えられるが、
実害の及ばない立場からすると、それは面白…
由々しきことだと思う。
しかし君よ。
許してほしい。
ノロケはいつも、冷やかしの届かないところより生まれ、
冷やかしはいつも、無辜な相方の身に降りかかるものなのだ。
それは、人類の生み出した究極の理不尽。
まるで戦争のように。
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相方は私の渾身の不意打ちを軽々と飛び越えてきた。
普段は人一倍周囲のことを気にかける人なのに、
状況によってそれら一切を遮断し、
行動を断行できる相方の凄みにうろたえるしかない私。
まさに彼女は
治外法権。
無敵艦隊。
不可侵存在。
あ~んタッチャブル。
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裸を見られて恥ずかしがるようなトシでもない。
問題は見られる、見られないという事ではなく、
「いかに見られるか」
というところにある。
男の隠すべき面積というものは難しい。
隠しすぎればいかにも頼りなく見えるし、
フルオープンというものは工夫も感慨もなく、つまらない。
限りなく全裸に近くとも、飽くまで半裸姿勢を崩さぬところに
思考や意識が生まれ、物事は派生してゆくのではないか。
それらを踏まえるに、
便宜とマナーの観点から軽く隠しながらも、
凝視すればパーツが見えてしまうくらいの秘匿にとどめ、
あくまでスマートかつナチュラルそれでいて威風堂々と
若干の鷹揚成分も含ませつつ、
慣習的平常感から生ずる無関心風態度をにじませながら
通り過ぎることが肝要だと、私は思う。
もちろん、通り過ぎた後も尻を隠すなどせずに、
キッと引き締め、両エクボでセックスアピールを怠ってはならぬ。
無論、誰も見てないと分かっていても。
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先日、本当に久しぶりに二人そろってお休みの日があって、
朝から温泉に出かけた。
相方は、日頃のデスクワークで肩や背中、腰などが
バリバリに硬い。
少しでもほぐしてあげたいと思って、
湯上りにマッサージを施した。
時たまツボを強く押しすぎて、
半泣きの悲鳴を聞いたのは、
ついつい労いの気持ちが強く出てしまったからであり、
日常繰り返される脇突きへの報復などではない。
断じてない。
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どういうわけなのかイマイチはっきり分からないのだけれど、
チューブトップ(イラストでは間違ってます。)
のお姉さんがエプロンを着用すると、
やけに色っぽい・・・というか、エロい。
どういうわけなのかはサッパリ分からない。
着衣はカクジツに一枚増えているのだし、
露出面積だってカクジツに減少しているというのに。
どういうわけなのかはいまだに分からないのだけれど、
目の錯覚から生まれたエロスの爆発に乾杯。
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我が家では今、バランスボールが静かなブーム。
次々買ってきては、私のもとに箱が運ばれてくる。
その経験から言わせていただくと、
バランスボールで一番ダイエット効果が期待できるのは、
付属のポンプ(足踏み式)で空気を詰める時に他ならない。
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先日、小学校へ行きました。
子供を入学させるためでもなく(いないしね)、
ましてや自分が入学するわけでもなく、
出張陶芸教室の講師としてPTAの希望者数名に、
陶芸をお教えするという仕事があったためだった。
久しぶりに入る小学校。
もちろん、自分の出身校ではないけれど、
独特の匂いや、
やけに清々とした空気など、
諸々の雰囲気が懐かしく、
見える景色だけが自分の意識を小学生のそれに変え、
段差の低い階段や、
腰を低くかがめないと使えない水場、
使用するのに工夫が要るミニチュアの机や椅子などの違和感が、
なんだか自分だけが急に大きくなってしまったような、
ガリバー的孤独感をひどく感じてしまった。
違和感といえば、小学校は大きく変わりましたね。
まず、校内へ入るのに、チェックが厳しくなった。
職員室で日付、氏名、入校時間を書いて、バッジをもらわないと
入れないという。
これは、ここ最近の陰惨な事件の影響でしょうが、
以前と比べて、学校というものがより世間と隔絶されたような、
異次元の度合いを増したような、
そんな感覚を覚えました。
子供の数も減りましたね~!
結構な街中の小学校だったのですけど、
一クラス20人くらいしかいないのではないでしょうか。
昔は一クラス50人弱はいて、
それが7~8クラスはあったものですが。
少ない子供が教室の中央に机を寄せているため、
教室の四方が大きく開いているんです。
その不自然なスペースに「少子化」というものが
むっつりと座り込んでいる様を目の当たりにしました。
まあ、自分も今現在、
実際、親になろうかという年代にいるわけですが、
今の時代、子供を持つってのは相当の度胸が要りますからね。
子供を持つのは「ぜいたく」という風潮さえあるのでは・・・?
という感じもします。
そして、もうひとつ。
とても驚いたことがありました。
それは、
「授業と休み時間の境が曖昧になった。」
ということです。
チャイムが鳴って、授業が始まりますよね。
私が小学生だった頃は、子供はいっせいに教室に戻って、
先生が入室し、
「ハイ、それでは国語の授業をはじめま~す!」
となり、日直の子が
「きり~つ!れ~い!ちゃくせ~き!」
ガタガタガタ…と、そういった儀式というか、
キチンとした境目があったわけなのですが、
それがないのです。
子供はチャイムが鳴っても急ぐでもなく、
ゆっくり歩いて平気で先生よりもあとに教室に入ってゆく。
たまたま私の見たところだけがそうだったのかもしれませんけれど。
これには驚きました。
さらに驚いたのが、
「授業中、さしたる用事もないのに教室から出歩く子がいる。」
ということ。
自分の小学生だった頃は、授業中に教室の外に出るのは
急に気分が悪くなった時とか、
トイレがどうしてもガマン出来ない時とか、
とにかく、非常事態が伴っていたものです。
みんなが授業を受けている時の廊下は独特の静寂に包まれていて、そんな中一人歩いていると、なんだかとても悪いことをしているような、ワクワクのようなドキドキのような、
今思えば子供なりの背徳感があった。
しかし、今は違うんですね。
気分に任せて席を立ち、教室の中をうろうろしたり、
廊下をトコトコ歩いたり。
教員も、その子に対して何を言うでもなく授業を続けているのです。
これは、新聞などで話を聞いたことはありましたが、
実際見たのは初めてで、しかも、それが一人や二人じゃない
ということにも驚きました。
自分の頃は、今よりもはるかに人数はいたけれど、
こういう風に徘徊する子供はいなかったなあ・・・。
どんなに風変わりな子でも、最低限、授業は座って受けるという
ルール以前のものだけは守っていたと思う。
反感を承知で書きますが、
授業中、教室内をうろうろしている子供というのは、
まるで人の形をしたケモノのようでもあり、
とても不気味に映りました。
ここに書いたことは、私がたまたま垣間見た光景を、
自分のあの頃と比べて書いているものであり、
もちろん、それは全貌ではないと思うし、
見方が偏っているかもしれないです。
それに、いろいろな人の試行錯誤の途中でもあるとは思います。
これから、同じ世界で関わってくる次世代の人間たちの
養成区を見て、色々と考え込んだということだけ、書いておきます。
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下駄箱のそばの席でご飯を食べていた時のこと。
私もそりゃあいろんなところでご飯を食べましたがね。
顔のすぐ横にオシリを突き出されながら食べたのは初めての経験でした。
まあ、相手が妙齢の女性だったのでまだ良かったのですが。
え、良くない?
う~ん…。
やっぱそうですよねえ…。
不思議体験。
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のそのそ歩くネコと、ヨチヨチ歩く男の子。
ヒジョ~~~~に微笑ましい光景だったのですが、
そのあまりに「出来すぎ」な取り合わせに、
ネタにすることが大いにはばかられる。
しかし、そんな瑣末なためらいも、
自己申告明記で問題解決!
下記注意事項をしっかり読んでね★
!!!このネタには、出来すぎなシーンや、!!!
!!!!あざとい表現が含まれております。!!!!
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昨今のとんでもないガソリン高騰は、
クルマでしか出歩けない地域の人間にとって
本当にシャレにならない事態なのです。
満タンに入れようものなら、すぐさま6,000円オーバーという状況に、無駄が多いと知りつつも、10リッターとか20リッターとかちびちび入れなければならない状況だったりする。
ところで私はガソリンはほとんどセルフで入れているのだけれど、
ガソリンの給油機って、その前に入れた人のリッター履歴が
そのまま残っているんですよ。
(これはセルフじゃなくてもそうみたいですが。)
そうすると、やっぱし多いですね。
10リッターとか20リッターをちびちび入れている人。
5~60リッターを入れている人の方が
はるかに少ないような気がします。
それを見るたびに、心の中で
「同志よ…!」
という連帯感を抱くのですね。
ひどく消極的な連帯感なのですけれども。
しっかしガソリン高いわあ~…。
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知り合いのご夫婦が営んでいるお店で食事したのですが、
たまたま相方がおどけて
「はい、あ~ん。」
をした瞬間、料理を運んできた奥さんに見られてしまったという次第。
そんなに恥ずかしかったなら描くなよ。
という話ですが、そのタイミングがあまりにナイスで面白かったので、
描いちゃったという次第。
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麻雀は、おおまかなルールくらいなら知っていますが、
なにしろテレビゲームでやっただけなので、
…あ、脱がないヤツですよ。
牌の並べ方とか取り方とか、点数計算なんかチンプンカンプンです。
しかも私の場合、周囲の捨て牌などを一切意に介さない
ノーガード麻雀ですので、
頭脳ゲームとして楽しみたい人には至極ツマラナイ相手だと思う。
しかし、たまに麻雀マンガを読んでいるので(『天牌』とか)、
もしかすると知らず知らずのうちに、雀力は上がっているかもしれない。
…上がるわけないですけどね。
今回は、GEN MUTO'S HOMEPAGE の管理人、
武藤さまとの合作4コマです。
ひょんなことから
「やろうやろう。」
ということになり、綿密な(?)メールによる打ち合わせの後に
完成とあいなりました。
武藤さん、ありがとうございました~。
冴子先生と麻雀が打ちたい方は、
GEN MUTO'S HOMEPAGEへGO!
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やっぱし、スケッチ入りで
「ボインボインの人」
って書いてあったのがマズかったのかな。
絶対零度のため息に、氷河時代(アイス・エイジ)の予感…秋の空。
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カーディガンがね、はだけるの。
そそっと直すんだけど、ボタンしないからまたボイ~ンってはだけるの。
そんでね、
ずっと揺れてるの。
ただ歩いているだけなのに、
縦揺れしてるの。
ボク、びっくりしちゃって、
ただ立ち尽くして視か…傍観してるしかなかったの。
でもなんとなく、
あの縦揺れは、
「緊急招集」
されて形成された烏合の衆のようにも見えたの。
もしかしたら、終業とともにそれぞれの持ち場に戻るのかな。
それでも、あの日ほど地球の引力に感謝したことはなかったね。
ありがとう、引力。
ありがとう、乳トン。
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定禅寺ストリートジャズフェスティバルで、
Empty Black Box
というブラスロックバンドのライブを聴いたのですよ。
メインボーカル(カッコイイハープもやってました)に、ベース、キーボード、ドラム、トロンボーン二人、サックス一人(ホントは二人だったようですが、その日は一人でした。)という編成のバンド。
フィナーレのメイン会場は他にあったのですが、
そこはあまりに人が多すぎて近づく気も起きなかった。
でも、このまま帰るのもなあ~・・
とブラブラしているうちに、
メイン会場より少し小さめのステージでのライブを発見。
比較的お客さんの少ないほうを冷やかしにきた・・
というのが正直なところだったのです。
しかしですね、
何気なく立ち寄ったところ、そのあまりに楽しげな演奏や軽妙なトーク、
ブラスのお姉さんたちをはじめとしたカッコよさに惹きつけられ、
思わず釘付けになってしまったのです。
腹のそこに響く旋律も好みで、歌詞も好きなタイプ。
特筆すべきはトロンボーン、サックスのフリフリパフォーマンスで、
立ち尽くしながら鳥肌に耐えておりました。
気がつけば、体が自然に縦ノリして、
全身にぐっしょりと汗!
今、売り出し中と思しき
「100年たっても」
という曲のサビになだれ込むところなんか、
聴衆の発する「気」のようなものが足元から陽炎の膜となって、
夜の空に大解放されるような感触を覚えました。
あんなスゴイ光景は初めて見た。
音楽って、スゲエ!!
と、涙目になって大感動してましたよ。
私は。
ええ。
ただひとつ残念だったのは、
そのバンドのCDが欲しくて買いに行ったら、
財布の中に1,000円しかなくて買えなかったことだった。
電車代と駐車場代でピッタシだし…。
まあ、探して後日買いますが。
素晴らしいバンドでした。
是非来年も来て欲しいと思います。
ジャズフェス、面白かったわあ~…。
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宮城県は仙台市では、毎年この時期に
『定禅寺ストリートジャズフェスティバル』
というお祭りが開かれる。
『定禅寺ストリートジャズフェスティバル』とは、
定禅寺通りという大きな通りを中心に、
プロアマ問わずたくさんのジャズバンドが演奏をし、
仙台の街を音楽で染め上げてしまうというヒジョ~~~に
創造性豊かな催しなのです。
9月11日。
『定禅寺ストリートジャズフェスティバル』最終日。
日曜日ということもあり、仕事は抜け出せないにしろ少し早めに切り上げて、私は日曜の最終日のフィナーレを見に行くべくイソイソウキウキと地下鉄に飛び込んだ。
今年ももちろん相方と見るわけだが、
友人知人が演奏する側で参加している彼女は、昼間から先乗りしている。
連絡を取り合って、現地集合という手筈だ。
地下鉄に乗っている間に、空はすっかり暗くなり、上り階段の向こうにそびえ立つ141ビルは足元からライトアップされ、にじみ聴こえてくるジャジーな音楽とあいまってひどく幻想的に見えた。
広場に出た。
昼間からの湿気が、祭りの熱気に支えられてか地表に残っていて、とにかく蒸し暑い。
去年は寒かったから、今年もそう踏んで厚着してきたことを早くも後悔した。
そして、
そこかしこで演奏しているバンドを取り囲む聴衆、聴衆、聴衆!
リズムに乗る表現はそれぞれ大小あるが、
音にあわせて揺れるそれは、音楽の風を見ているようで楽しい。
もちろん、私のもとにもあちこちから大音量の音符が飛んできて、腸のあたりを刺激する。
会場に入るほどそれはいよいよ渦巻いて、
自分の鼓動なのか音波の波動なのか判然としなくなってきた。
それもまた心地よい。
ところで、相方が見つからない。
私は携帯電話を持っていないので、
公衆電話から連絡したのだけれど、
待ち合わせの場所を根っこから間違っていて、
さんざん歩き回ることとなった。
もちろん、
演奏に聞き惚れて立ち止まったりしたのこともあったのだが、
ようやく合流したのは実に1時間後の出来事だった。
相方に逢う。
一緒にいたのは、バリトンサックス奏者のAさんと、
キーボードを操るクボさんだ。
Aさんは黒のスーツがバシっと決まった、
カッコイイ極まりない妙齢の女性である。
(既婚だが。)
そしてなんと、「言戯」の読者さんでもあった。
ほぼ毎日見てくださっているという。
(つーことはコレも見てますね?ドモドモ。)
「是非、会ってみたい!」
ということで、待ってくれていたのだ。
(1時間も待たせちゃって本当にごめんなさい。)
Kさんは相方の友達のもうすぐダンナさんになる人。
話は何度も聞いていたが、実際に会うのは初めてだった。
気さくで明るくて楽しいステキメンである。
撤収でバタバタする中、4人で立ち話をした。
いつもそうなのだけれど、表現する手段を持つ人とというのは楽しい。
それは、音楽でも絵でも変わりない。
きっと、表現とは、認めることだと知っているからなのではないかと思う。
話しているうちに、いつものように相方のワキ突き突っ込みを見て、
Aさんが感動していた。
考えてみると、「言戯」読者の人で相方と並んで会ったのはこれが始めてかもしれない。
それがとても新鮮で面白かった。
まあ、ついうっかりノロケて、
こうなったのには参ったけれど。
私が1時間遅れてしまったせいで、クボさんやアヤコさんの演奏が聴けなかったのが非常に残念だった。
なので、今度機会があったら、ライブに潜入しようかと考えている。
(ご迷惑でなければ…)
とにもかくにも、こうして今年のジャズフェスティバルは幕を開けたのだった。
つづく。
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サイトで知り合って、実際にお会いするという人が増えてきた。
その時、だいたい言われるのが、
「ブログのまんまですね~!」
という一言。
自分ではあまり意識していないのだけれど、
どうもそうらしい。
単に、出し入れできる引き出しが少ないだけとも言えるが、
今のところガッカリされたことはない(と思う)ので、
これでイイということにしておこう。
余談ですが…
妖精の養成を要請されて幼生の妖精に陽性が出て夭逝した。
という妖精コトバ遊びを作ってみたら、
思いがけず
「エゴが生んだ悲劇」
が出来てしまい、悲しい気持ちになった。
合掌。
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医学の知識を持つお医者さんが風邪を患うように、
薬に囲まれた商売の薬屋さんだって風邪をひく。
分かってはいるのだけれど、
その矛盾はなんとも言えずかぐわしく、
非常にツラそうな体調を憂慮しつつも、
頑なにマスクを着用しないその姿勢に、
風邪薬の販促疑惑という疑念を禁じえなかった。
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ふと気がつけば、
個別包装のお菓子を開封する我が手を眺めながら、
早くも咀嚼体勢に移行している我がおクチ。
わずかながらもカクジツなフライング行為に、
ショックを隠せなかった。
よりいっそうの口元セキュリティの強化を今後の課題に据えたい今日この頃。
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先日、ひょんなことからラジオに出演することとなった。
地元のラジオ局の企画で、街中の話題のスポットを紹介するコーナーで私の職場が紹介されることとなり、その取材がてら陶芸教室に訪れたスタッフの方が、講師を担当した私の流麗かつ軽妙なトークに感激したらしく(ウソ)、
「是非、トシさんに出ていただきたい!」
というオファー(白羽の矢)をいただいた(突き立てられた)のだった。
その日は、南の方から徐々に近づいてくる台風の影響か、雨がシトシトと落ちていて、空気はすっかり秋の匂い。
少し肌寒かった。
事前に伝えられていた時刻よりかなり早めに到着してしまった私は、滅多に来ない地下鉄の駅ビルのなかを散策して回った。
しかし、どこの店も開店前で、閑散かつ静寂に押し包まれている。
トイレで搾り出したあとは何もすることがなくなり、しかたなく20分ほど早めにスタジオに入ったのである。
戸を開けて、
「おはようございま~す。」
と、とりあえず挨拶の布石を置く。
奥のほうには5~6人のスタッフと思しき人たちが、様子見の中に微量の怪訝をにじませた視線をこちらに向けている。
「あ、あの~・・今日、ゲストに呼ばれた者なんですけど・・・。」
おずおずと用件を伝える。
スーツ姿のサワヤカげなお兄さんがツカツカと歩み寄ってきて、
「ああ!10時からの番組に出演される方…ですよね?」
と聞いてきた。
「え?・・・ええ。そうです。(たぶん)」
「Oさんはもうすぐ来ると思いますんで、こちらでお待ちください。」
と、サワヤカお兄さんは私に冷たいお茶をあてがって、奥の事務室に消えていった。
Oさんというのは、私に白羽の矢を立てた張本人である。
まだ来ていないらしい。
まあ、指定の時刻より少し早めに来たのがマズかったのだろう。
いかにも所在無く、お茶をすすったりそこに置いてあったさまざまなパンフレットを眺める私。
10分ほど経っただろうか。
Oさんが現れた。
私の姿を認めたOさんは、
「おはようございます~!」
にっこりと挨拶しながら、目の前にペットボトルの紅茶を置いた。
紅茶党である私への気遣いである。
それから、ぼちぼちと収録の打ち合わせが始まったのだった。
その日、お世話になったラジオ局は、駅ビルの中にオープンスタジオを構えている。
そこでは妙齢の女性パーソナリティーが、コックピットのような機会郡に囲まれながら、しゃべったり、CDをかけたり、電話の応対をしたり、パソコンをいじったりしている。
くるくると忙しそうながら、手際が小気味よく、観ていて楽しかった。
スタジオを出てきたパーソナリティーのお姉さんに紹介される。
名刺交換。
シュピっと慣れた手つきで名刺を差し出すお姉さんに対して、慌てて名刺を取り出し、もたもたとした上に名刺ケースを取り落とす私。
机の下に滑り込んだケースを拾う自分がカッコワルイ。
いつもそうなのだけれど、どうも名刺交換というヤツは苦手だ。
気恥ずかしい。
29にもなって言うことではないんだけれども。
インタビューは、Oさんと私、それにパーソナリティーのMさんで展開された。
オープンスタジオのなかは防音室独特の圧迫感があり、何故か分からないけれど、歯医者のような匂いがした。
ヘッドホンとマイクがあてがわれ、流れ作業的にインタビューは始まった。
幸い、私は人前でしゃべったりすることに、それほど緊張することはない性分なので、別段とちることもなく淡々と宣伝した。
むしろ、始まる前に妙に可笑しくなってきて、しゃべりだす直前までうつむいて笑いをかみ殺していたくらいだった。
いつもながら、客観的に聞く自分の声は、頭蓋を通して聞くいつものそれとは違い、少し高くてどうも気に入らない。
やはり、男はハスキーボイスに憧れるものなのだ。
そんなことをぼんやりと考えているうちに、生放送は淡々と終了する。
イマイチウケを取れなかったのがいまだもって残念だった。
ちょっとした都合で、インタビューのあともスタジオの中にとどまることになり、パーソナリティーのお姉さんと話す機会に恵まれた。
その中で、お姉さんはこんなことを言った。
「トシさんの声はイイですね!普通、男の人の声って、低音が『揺らぐ』んですよ。でも、イヤホンから聞くトシさんの声はそれが無くて、『あ、ナレーターとしていけるかも。』と思いましたよ!」
この一言はすごく嬉しかった。
というのも、私の声は通りが悪くて、飲食店などで店員さんを呼ぶのに苦労することがよくあるのだ。
長年そんなことに悩んできたこともあり、そんな自分の声があまり好きではなかったのだけれど、それを褒められたのは意外で、それだけにとても嬉しかった。
そのやりとりのあと、
「よし、ナレーターを目指そう」
と思ったのと、
「普段からマイクとスピーカーを持ち歩こう。」
と思ったことは言うまでもない。
打ち合わせや世間話に2時間ちょい、インタビューは10分少々というラジオ出演だったけれど、とても貴重で楽しい経験をさせていただいた。
ラジオ局の皆様、大変お世話になりました。
ありがとうございました~。
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『共同購入』
というのは、
「みんなで買って、みんなで使おう!」
っていう意味じゃないんだ。
「みんなで買うから、安くしてもらおう!」
ってことだったんだ。
大人の世界って、複雑だ。
よいこのみんなは間違えないようにね!
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先日、風呂上りの母が、廊下で倒れていました。
こんな感じに。
母よ。
ビックリするから、廊下でバランスボールをするのはやめてください。
…悪趣味な展開でごめんなさい。
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お米というものは、手で切るようにシャキシャキと「研ぐ」のだという固定観念があったものだから、
「泡だて器なんぞで米を研ぐなどもってのほかであり、泡だて器はその本分である泡立てのみに勤しんでおればよい。」
というカタクナ感から発生する違和感を感じていたのですが、
思い切って泡だて器による米研ぎ法を実践してみたところ、
早いわラクだわ米が壊れないわでスンバラシイわと思ったのですわ。
イコジ感もカタクナ感もイワ感もリョーシンのカシャク感も流れ落ちて、
雨上がりの青空のように清々とした気分で米を泡立てることができるようになりました。
(いえ、本当に泡立てはしませんが。)
これって、便利に負けたってことなのかなあ…。
でも、五合くらいまでなら、泡だて器だろ。
やっぱ。
うん。
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先日、飼い猫の「ハナ(キジトラ♀)」が死んでしまった。
「ハナ」が生まれたのは、私がまだ中学生の頃。
当時の飼い猫「くう(黒猫♀)」と、近所の野良猫「キンタ(キジトラ♂)」の間に生まれた。
「くう」は黒光りする毛並みに黄金の双眸。
すらりとしなやかな肢体を持つ、近所でも評判の美人猫だった。
しかし、「ハナ」を生んで1年後に、クルマに轢かれてしまい、
その生涯を閉じる。
享年3歳。
「キンタ」は、堂々たる体躯にらんらんと鋭い眼光の持ち主。
非常に賢い偉丈夫で、近所の野良猫たちの大将をつとめていた。
没年不明。
その間に生まれた「ハナ」は、同じくウチの飼い猫だった「ラッキー(白と茶のブチ♂)」との間に二男三女の子供をもうけた。
「ラッキー」は「オデブ」と言われても仕方がないほどの巨漢で、
育児にも積極的に参加するような、非常に心優しい猫だった。
しかし晩年、「ネコエイズ」に罹患。
次第に体力が衰え、死亡。享年13歳。
そして、「ハナ」と「ラッキー」の子供たちは…
ぼたん(三毛猫♀)…生まれて一年と経たず、行方不明。
すみれ(三毛猫♀)…「さくら」とともに、ある日突然行方不明になる。生死不明。
さくら(三毛猫♀)…「すみれ」とともに行方不明になるが、約3ヵ月後にボロボロになって帰ってくる。
それからは平穏に暮らすが、早くに避妊手術を施したため、子孫は遺せず。
晩年、父ネコのネコエイズに感染。
数年の闘病生活の果てに死亡。享年12歳。
銀平(キジトラ♂)…ワンパクで非常に器量よしのネコ。
あまりに可愛すぎて、近所のウチに飼い取られてしまった模様。生死不明。
光平(キジトラ、腹側白の三毛猫♂)…父ネコそっくりの巨漢ネコ。
非常におっとりした性格。
早くに去勢手術を施したため、子孫は遺せず。
晩年、父ネコからのネコエイズを罹患。
数年の闘病生活ののち死亡。享年13歳。
「ハナ」自身の一生も、十分に「波乱に富んだ」と言っていいものだった。
出産後まもなく、近所のウチの庭に仕掛けてあったトラバサミに右前足を挟まれる。
瀕死の重傷を負うも、なんとか一命を取り留めて数ヶ月の入院生活ののちに生還。
ただし、右前足は治癒不可能なほど損傷激しく、切断処置となった。
その後の生涯は、短くなってしまった足に色々な不便もあったようだが、
足が一本ない以外は非常に健康で、
それどころか五体満足なネコよりも機敏であり、
スズメや虫などを狩っていた。
性格も自尊心が非常に高く、いつも凛としていた。
晩年は、同居していた夫ネコ、子供ネコなどが次々死んでゆくのを見届けながらもしっかりと生きる。
そして、今年。
平成17年8月31日。
2日間の危篤状態ののち、
掃き出し窓からの風が心地よい部屋の片隅で、
眠るようにその生涯を閉じた。
享年15歳。
「ハナ」は、我が家がまだ仙台の街中にあった頃からの飼い猫で、
その「一族」最後の生き残りでした。
私の生涯の半分。
いつも視界の端にいた存在ですから、いなくなってしまったというのはとても寂しいことです。
だから、
「ハナ」の死にあたって、
こういうネコの一族がいたと、
系譜という名の記憶を遺しておこうと思った。
長い間、ありがとう。
の意味をこめて。
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私の趣味は散歩。
先日はウチの周りを歩いてきたのですが、なにしろ山中のため、周回コースをたどるだけで軽く10kmほどになります。
途中の給水ポイントで買い求めたジュース。
フタが異様に固かったのか、
私の開けかたがマズかったのか、
それとも体力がなかったのか…
ついに開栓せしめた時の達成感と手のヒリヒリは、
少し酸味が強めのスポーツドリンクが流し去ってゆきました。
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