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2005年8月

北風と太陽

E0776

ラーメン屋さんに「おひとりさま」出来る女性というのは、
なんとも言えず頼もしいものだと思う。

先日立ち寄ったラーメン屋さんで、
そんな女性を見かけたのですけれども、
いざ食べ始めた彼女は、すくい上げた麺に向かって、
「これでもか」と息を吹きかけていたのですね。

そう。
彼女は猫舌だったのです。

豪快な「女性おひとりさまinラーメン屋さん」なのに、猫舌。
したたかさとたおやかさの夢のコラボレーション。

しかも、出来立てアツアツのラーメンを引っ張りだして冷却にいそしむその姿は、アツイラーメンをアツイまま食べたいという抑え難い欲求と、猫舌という肉体的ハンデの相反する要素が醸した葛藤がにじみ出ていて、見るものを感涙させずにはおかなかった。
(たぶん、見ていたのは私だけだが。)

もちろん、
「冷やしつけ麺系」
に逃げなかったのは、彼女の意地だ。

そこにまた感動を禁じえない。

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T字路のTはティッシュだというメッセージなのか?

E0761

先日、はた迷惑なカップルがいたT字路を通りかかったところ、
今度は歩道の角に、ティッシュがちょこんと置いてあった。

白昼。
周囲に人影などは見当たらない。
それなのに、封は切られ、次の紙がつまみやすいように紙片をそっと差し出すという、ティッシュ独特の気遣いを見せている。

あきらかに打ち捨てられているのに、
責務を全うしようというその姿勢に健気さを超越した

ティッシュの、ティッシュとしての最期の意地

が、みなぎっていた。
 
 
 
ティッシュというものは、
置いてある場所によって雰囲気がガラリと変わるものだと思う。

客間にあればちょっとした心遣いであり、
ラーメン屋さんにあると頼もしい。
枕元にあると、どちらに転んでも淫靡だ。

…がしかし、T字路の角に置いてある(しかも使用中)というのは何を意味するものか。

道端に明らかに場違いなものが置いてあるとすればそれは…

…供養?

マジデ?

…T字路の謎は深まるばかりなのだった。


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冷蔵庫ロマンティック

E0760

お腹がすいている時にフツフツと湧き上がる冷蔵庫への期待感。

それは、有用なモノがないという事実を突きつけられても容易に冷めやらず、ぐるぐるとその周りを回遊するという奇行に走らせるほどの魔力がある。

電気代の無駄になるということも分かってはいるのだが…。

今日も回遊ロマンティックは止まらない。

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不意のエロス

E0759

別にそっち関係の本ってわけでもないのに、
裏表紙が妙にヤラシイ本がごく稀にある。

表紙だけを見て手に取り、
なにげなくカウンターに置いたら裏返っていて、

「ありゃ??」

ということにもなってしまったり、バーコードを読み込むために
ひっくり返してみて

「あらら・・」

ということにもなるわけです。

白昼の静かな書店で不意に醸される、
エロスな空気。

あちらはもちろん、
こちらとしても不意を突かれた格好ですから、
双方のぎこちなさときたら推して知るべし・・でしょう。
 
 
 
その店員のお姉さんが妙齢で器量よしの場合、
出来ることなら弁解を試みたいところですが、
同時に、小さな動揺とか、わずかの恥じらいを押し隠す様を
ついついチラチラと鑑賞してしまったりするのですね。

なんともいえず、可愛いもんですね。
あれは。

悪趣味?
ええ、悪趣味ですとも。
それが何か?
 
 
 
深夜まで営業している書店のお姉さんは、
その辺もう慣れっこになってますから、
まったく動じなかったりします。

それは、ちょっとつまんなかったりしますね。

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割れナベに綴じブタ

E0757

割れマクラに綴じアタマ。
ベッドにはソバガラが散乱してますわ。

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夜の稲光に大興奮

E0755

ただでさえ、カミナリというものは胸が躍るものですが、
夜のカミナリというものはまた格別といえる。

闇夜に不吉な亀裂を描く雷光。
一瞬、すべてをモノクロに染め果たす光の威力。
その直後に鼓膜を打ち付ける大轟音。

ただ事ならぬ天候に、
気分は高揚し、

「非日常への期待感」

というか、そういったものがむくむくともたげてくる。
 
 
 
発作的に花瓶を誰かの頭に炸裂させたり、
(炸裂させないけどね。)

発作的に衝撃の告白をしてみたり、
(しないけどね。)

発作的に悲壮な決意のひとつも固めたりしたくなる。
(固めないけどね。)
 
 
 
ありとあらゆる
「なんちゃって」
で遊ぶに、またとない夜と言える。

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10冊目の書籍掲載。

E0756

本日(8月25日)発売の宝島社ムック、

「成功例に学ぶ!アクセスが10倍になるブログ」

に、当ブログ『言戯』が紹介されています。
書籍への掲載としては、記念すべき10冊目。
いよいよ二桁台に突入しました。

おめでとう、自分。
 
 
 
実はですね。
この記事を書いているのは、25日より前なのですが、
宝島社さんのご厚意で、発売より一足お先に見本誌をいただきました。

それを見て驚きましたね。
ウチのサイト。
書籍のあらゆるところで紹介されちゃってます。

露出多いです。

まず、
「ブログランキング成功者15名に聞くアクセスアップの法則」
というコーナーにて、『イラストブログ』代表(?)として、
ドーン!と大きく紹介されています。
(ブログランキングの類には参加していないのですが、いいのでしょうか…?)

最近コメント、トラックバックされた方もハッキリ載っていますので、
心当たりの方は是非チェックしてみてください。

そして、
「さまざまなブログ形式」
というコーナーでも、
『おバカ系エンタメブログ』カテゴリで掲載されていますね。

「おバカ系」って…。
「ノロケ」に「おバカ」と、ウチのサイトの一言評価は、
とっても極彩色に満ちていますね。

そして、もうひとつ。
「ブログ編集&デザインテクニック」
コーナーでも紹介されているじゃないですか。

とにかくいろんなところに顔を出しています。
ここまでくると、「言戯紹介誌」といっても過言ではないですね。

まあ、十分に過言ですがね。
 
 
 
この本の特徴は、
「アクセス増加、リピーターを確保するためのブログテクニック」
に特化、集中しているということだと思います。

たくさんのアクセスを集めるブログを分析して、
どこに、どういう工夫をしているのか、

ブログ特有の見せ方、読ませ方のテクニックが満載しています。

今までの書籍はどちらかというと

「ブログのはじめ方」、「紹介」

にとどまっていた感じでしたが、そろそろ一歩踏み込んだ

「ブログ攻略本」

が出てきたのだなあ~・・。
という感想を持ちました。

単純に、読み物としても面白いので、
是非是非ご購読くださいませ~。

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破壊的キャミソール

E0754

「キャミソールの色気は、露出面積に反比例する」

ということを以前描きましたが、
シャツの下に着用されているキャミソールというものは、
また格別にスタイリッシュ&セクスイ~なものである。

そもそも、キャミソールというものが

「これは見せる下着なのだ。」

という出所不明の大号令によって、
なかば強引に世間に認知されたものなのだから、
平坦な目で見ればそれは下着ということに変わらないわけで、
何かの下に着られていれば本来の「下着」のたたずまいを十全に発揮するのだから、当然といえば当然のことなのでしょうね。
 
 
 
「見せてもいいんだ!」

と開き直られると価値をなくすキャミソール。
隠すと価値が上がるキャミソール。
 
その不可解な差は、

「水着着用時に靴下を履くと下着に見える。」

という目の錯覚に相通ずるものがあるような気がしてならない。

キャミソールのある日本に生まれてよかったと、
嬉しくて仕方がない今日この頃。

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不機嫌の持続力

E0753

どうしようもなく不機嫌な時に限って、
小さな幸運は訪れる。

 
 
 
生まれつきの楽天家、いわゆる

「先天性ま、いっか症」

を罹患している身としては、
不機嫌を持続することも実は困難である。

怒りというものは実際、
持ち続けるのに多大なエネルギーが必要とされる。

怒るということに慣れていないと、
それは重たくて面倒で、

そもそもそんなことに捕らわれていることがバカバカしくなってくる。
時間の無駄のようにも思えてくる。

そこで、ある程度怒って、十分に
怒りを楽しんで飽きたら、

「ま、いっか」
という精神に対する回復呪文(ホイミみたいなもんだ)をかけてしまうわけだけれど、
怒りを抱えてから、あまりに早い段階での「ま、いっか」は迷う。

怒り足りない状態で図らずも外的要因などから機嫌が直ってしまうと、
先ほどまでの胃を焼き、脳を焦がすような怒りがまったく意味の無かったもののように思えてきてしまう。

そこで発作的に、
不機嫌を持続するための努力を試みるハメに陥るという。

これがまた難しい。

怒りには、脳のモヤモヤとか、
小腸あたりのムカムカという燃料が必要なのに、
それがなくなってしまうと自分で作り出さないといけなくなる。

必死にハラの立ったことを思い出し直しても、
もう、「ま、いっか。」
で見限ってしまっている以上、怒れないのだ。

そのうちに、そんな無意味で滑稽で本末転倒な努力をしている自分がたまらなく可笑しくなって、笑えてきてしまう。

つくづく、自分には不機嫌の持続力が無いことを痛感するに至る。
 
 
 
たまに、一度機嫌を損ねると、
一週間でも二週間でも不機嫌でいられる人がいる。

これって、スンゴクうっとおしいけど実はスゴイことだと思う。
だって、数日も生きていれば、どんなにしたって
「気の晴れること」にぶつかるはずなのに、
ひたすらそれらに耐えて不機嫌を守り続けているのだから。

ユニークな忍耐力の持ち主と言えなくもない。

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覚えてる?

E0752

ごくごく稀にしか立ち寄らない店にて。

たしか、以前立ち寄ったのは半年ほど前だったと思うのだけれど、店員さんは私の顔を覚えていてくれていたことに驚いた。

別に、以前に特別なやり取りがあったわけではない。
領収証を書いてもらったときに名乗ったものを覚えていたのだろう。

たったそれだけのことで記憶し続けているなんて、
接客業として、すばらしい姿勢の持ち主だなあ…。
と感心しきりだった。
 
 

私は、人の顔を覚えるのが大の苦手。
初対面はもちろん、二度、三度会っている人でも
「誰?」
はしょっちゅうで、
ようやく覚えた人でも、髪型や服の系統が変わると
「誰?」
になることもしばしば。
 

「人の顔が覚えられないのは、覚える気がないからだ。」
とよく言われる。

悔しいけれど、確かにそのとおりだと思う。
 
 
 
もちろん、記憶力や適正は人それぞれ多少の差はある。
でも、それが病気あるいは外傷などによる記憶傷害でもない限り、

「覚えられない」

というのは、覚える気が不足しているのだ。
心のどこかで、「不必要な情報」として削除してしまっている。

好ましい人や、逆に嫌な感じの人。

好悪に関わらず、気持ちが動いた人間というのは、忘れないもんね。
だから、記憶力の容量がどうのというのは、どうもちがうらしい。
 
かといって、気持ちというものは誰に対しても動くものじゃないし、
会う人会う人みんなに気持ちを向けていたら、生活するのが大変だ。
 
 
 
人の顔を覚えられる人というのは、「覚えるべき人」と、
「覚えなくていい人」の区別がハッキリしていて、
「覚えるべき人」に対して気持ちを動かすのが上手なのではないだろうか。

境界がぼやけていないから、頭の中に確固としたファイルが作られ、
気持ちが動かない他人に対して、
自分から気持ちを動かす技術を持っているのだと思う。

それは責任感と、生きる姿勢、日ごろからの訓練によって培われたものなのだろう。
 
 
 
人に対して気持ちが動かないならば自分なりの動かし方を探せばいいのだけれど、無意識に見当違いの方向へ気持ちが向いてしまう私のような人間は、どうやって人覚えの悪さを克服したらいいのだろうか。
 
 
 
あのお姉さんも、
まさか自分の人覚えの良さが原因で、
見ず知らずの人間に(脳内で)好意を持たれていると思われ、
(脳内で)拒絶されたとは、想像だにしないだろう。

(脳内のことだけど)ごめんなさい。

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テーブルの吸引力

E0751

普段、私は自室にテーブルを置かないようにしている。

部屋がさほど広くないため、
テーブルを置いてしまうと大変邪魔になるという理由も大きいのだけれど、
最たる理由は別にあった。
 
 
 
つい先日。
書類や手紙を書くのに、手ごろな台が見当たらなかったため、
部屋の片隅に立てかけておいたテーブルを引っ張りだしてきて、
ついうっかり片付かないままでかけてしまったのだった。
 
 
 
そして、その日の夜。
そろそろ寝ようかという段になって、私は愕然とした。

今日の昼間に出したばかりのテーブルの上に、すでにモノが山積していたのだ。

本に湯飲みにラジオ、紙くずになぜか鉄アレイまでがテーブルの上に累々と横たわっている。

この部屋に入るのは、もちろん私だけであり、
これらのモノを置いたのも、当然すべて自分だということになる。

なるほどよく記憶を手繰ってみれば、たしかに自分が置いたものばかりだ。

その時、ようやく己の不覚に気づいた。

そうだ。
自分がテーブルを出さなかったのは、知らぬ間にテーブル上にモノがうず高く詰まれてゆき、ついに臨界点を突破したそれらが引き起こす、凄惨かつやり場のない憤りを孕む事故を未然に防ぐためだったのだ。
  
 
 
テーブルという存在が、モノを置くために生まれたものである以上、その標高、面積、たたずまいは、モノを置かれるべく計算しつくされている。

しかしその目的は、人間の怠惰あるいは横着、または一時保留という抗いがたい負の感情とあいまって、強大な吸引力を発揮してしまうことになるのだ。

ただ、そこにあるだけで、
モノを吸着してゆくテーブル。

『テーブルの吸引力』

に私は戦慄による悪寒を禁じえず、すぐさま再び
テーブルを部屋の片隅に立てかけ追いやったのだった。

テーブル、恐るべし。

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全力少年

E0750

先日のこと。

自転車で走る少年の姿が目に止まった。

その少年は、自分の体格にまったく見合わない自転車に乗っていた。
肩を怒らせてハンドルにしがみつき、体を全体をピストンのように上下させている。

それは、座ったままペダルをこぐことができないので、サドルの前の空間にめり込むように立ちこぎをしているからだ。

十分にペダルを踏みしめ、ある程度勢いがつくと、ちょこんとサドルにすわって休む。
つかの間休むと、またきっこきっことピストン運動を始めた。

体は上下に動いているのに、自転車はわずかに蛇行している。
危なっかしいが、見ていて懐かしい。

  
 
ちょうどいいものばかりの近頃。

次々に塗りつぶされてゆくちょっとした不便のスキマをこいでいるような少年の姿に、塗りつぶしきれない不便の痛快さを感じたのだった。

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セミ・ラブストーリー

E0743

庭先で鳴くセミの声が、

「み~んみんみんみんみんみんみ~~~~・・・ん」

とまで行かず、

「み~んみんみんみ・・・」

で終わると、

「ああ、(交尾の)相手が見つかったのかなあ・・・」

という想像をしたくなる。
 
 
 
もしかしたら、メスに逃げられたのかもしれないし、外敵に襲われたため中断を余儀なくされたのかもしれないけれど、なんとなく、

「相手が見つかったのだ。」

というハッピーエンドを想像したくなるのだ。
それほどに、セミの求愛の歌は懸命で、はかない。
 
 
 
そもそも、セミの鳴き声は求愛のためなのだろうか?
おそらくそうなのだろうけれど、少し曖昧で気になったため、調べてみた。

すると、こんな情報を入手することができた。


~~~~~~~~~~

ミンミンゼミ(和名)は、通常、『み~んみんみんみんみんみ~~・・ん』と鳴く。
基本的には一通り鳴き終わると飛び立ち、ほかの木へ移る。

鳴いている最中に、運よく近くにメスが来ると、最初の『み~ん』が無くなり『みんみんみんみ~』(誘い鳴き)という鳴き声をだしつつメスに近づいてゆく。

~~~~~~~~~~


そうだったのか!!

といことは、最初と最後に『み~ん』と伸びない泣き声は、いわばセミにとって「リーチ」の状態であり、「テンパイ」の様相を呈する音となるわけですね。

それを知ることで、なにげないセミの鳴き声というものが、いよいよ劇的な色合いを帯びてきた。

つまり、

『み~んみんみんみんみんみ~ん・・・』
から、

『みんみんみ~・・』
に変化し、

『みんみんみ・・』
と、途中で途絶えた場合、本懐を遂げた可能性が濃厚になる。
 
 
 
ということは・・・

6年間土の中で(幼虫で)過ごしてきた彼女いない暦6年のセミが、外に飛び出し、勇気を出して鳴いたことでメスのセミ(これをエルメスとする)に出会い、不器用ながらも誠実な人柄(セミガラ、抜け殻でもよい)で愛を獲得してゆく。

すなわち、『電車男』ばりのラブストーリーが、夏の炎天下のもと、かなりのハイペースでしかもあちらこちらで展開されているということになるのだ。

お互いの愛情を育むまもなく交尾に至るところに、やや紆余曲折的なものが不足しているように見えるものの、セミの寿命をかんがみれば濃密と言い換えることも十分可能といえる。

つまり、セミの鳴き声はこんなにもドラスティックなのだ。 
 
 
 
このことを知ってからというもの、今まで、「暑苦しい」という印象しかもてなかったセミの鳴き声に、すこし違った見方が出来るようになった。

いや、それどころか、
『み~んみんみんみんみ~~・・』
と聞くたびに、セミの恋の進捗状況が気になって仕方ない。
 
 
 
がんばれ!!
セミ男!!

そしてもっとがんばれ!
俺!!

ぎゃふん…!

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世代を超えるドラゴンボール魂

E0742

石、紙、ハサミの三すくみで構成されたゲームに、『かめはめ波』という名の飛び道具を持ち出すというのはいかがなものか。

「子供だから」という理由で済まされる問題ではない。
 
 
 
それにしても「ドラゴンボール」はスゴイ。
我々ドラゴンボール世代とは四半世紀も離れているような姪っ子が、どういった経緯で『かめはめ波』の存在を知ったのかは謎であるが、名作フィクションは時とともに色褪せることなく受け継がれてゆくという証明とも言える。
 
 
 
兄は

「俺は今度『元気玉』で対抗する!」

と息巻いていたが、それはすでにジャンケンと言えなくなっている気がしてならない。

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揺れた思惑

E07412

久しぶりに大きな地震に見舞われました。

数年前に震度6の三連発というのも経験していましたが、今回の揺れは気象庁などから発表された数字と違って、体感震度は「6強くらいあったのでは?」と思うくらいです。

つまり、「小さな地震の大きいもの」ではなく、
「大地震の小さなもの」という感じ。

揺れの性質、地鳴りの音などがいつもの地震とはまったく異なっていて、それは不気味で強大で戦慄と無力感を感じるような・・・。

そんな恐怖を感じる揺れでした。
 
 
 
東北地方は地震の多い地域で、普段から、小中の揺れは珍しいことでもありません。
私個人の感覚からすると、震度4くらいまでなら日常の中に溶けてしまうくらい「地震に慣れている」と言っていい。

その慣れは、自分の中に「動く線」を設定させてしまうのです。

「ここよりも大きいなら、動こう。」

という線。

そこに至るまでは、まったくの日常なのです。
つまり、慣れが地震を見切ろうとさせてしまうわけなのですね。
 
 
 
今回の地震は、突発的なものではありませんでした。
グラフにすると、キレイな山型を描いたと思います。

しかし、やや峻険であり、標高も高かった。
自分の中の「動く線」を、ぽーんと飛び越えてきた。

E0741

今日は店が定休日ということもあり、パソコンに向かって作業している時に、揺れが始まる。
床がまるくシェイクされ、パソコンの上に置いてあった電磁波対策の木炭が転げ落ち、キーボードの「れ」を直撃。
傷がつき、黒く汚れた。

これが、パソコンにおける最大の地震の爪あととなったわけですが…。

最大揺れの時などは、家の天井が不気味に「ミシミシミシ・・・」と音を鳴らし始め、本当に

「家が倒壊するのでは!?」

という命の危険さえ感じました。
大げさでもなんでもなく、先ほど述べたとおり、「災害を生むであろう天災の予感」を感じて、これはとんでもない地震かもしれないと思ったのです。

幸いにも、大地震としては小さいものだったので、死者などは出なかったようです。


しかしもしもですよ。

もしもさっきの地震で家が倒壊し、下敷きになって死んでしまったりしたら、私の最後の記事が

「無口なタイマー」
の話ということになるわけですよ。

己の人生観とかを語っていれば、

「寿さん、いつもしないような真面目な話をしてたのは、なにかの暗示だったのね・・・」
となる可能性もあるし、

相変わらず相方とのノロケを描いていれば、

「寿さんは、最後まで愛に生きていたのね。」
と語り草にもなるかも知れない。
(なんないか。)

しかし、よりによって「無口なタイマー」が遺作では・・・

「寿さんは、最後にキッチンタイマー…ウーン・・・。」

と、コメントに窮することは疑う余地もないわけですよ。
それだけは勘弁願いたい。

これからは、いつ何時万一のことがあってもいいように、たまに格言というか至言というか、心に響くようなことを書いておこうと思いました。
 
 
 
じゃあ、さっそく、
なんつーか、心に響くようなことを。

ウーン、そうだナ・・・
うん、これだナ。

「ガラスは、水の中ならハサミで切れる。」

いけね。
こりゃ「生活の知恵」だよ。

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一長一短

E0740

この世に「完全無欠」などというものが存在しない以上、どんなものにも長所があり、短所がある。

ウチの厨房にあるキッチンタイマーは、

時間に正確なのが長所であり、
非常に無口なのが短所である。

愛すべき個性の持ち主と言えなくもない。

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舐めるのか…!?

E0739_2

「切手は舐めて貼るもんだ。」

という固定観念が花開かせた、めくるめく妄想の摩天楼。

「こちらでお貼りしましょうか?」

という申し出は、きっと他人が触った切手を舐めるのはちょっと…という人への心遣いなのだろう。
そういった意味では、ちょっとへりくだり過ぎの感が否めない。

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桃、ふたたび。

E0738_2

先日、知人からいただいた桃を、無類の桃好きである相方におすそ分けした。

「桃は、食べるより嗅ぐほうが好きかもしれない。」

と豪語する相方は、桃に鼻をうずめ、吸い尽くさんばかりの勢いで香りを楽しんでいた。

それは、いつものクールなキャラクターをとろかすほどに。

恐るべし、桃。

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真夏の夜のバカ

E0737

意味も根拠もなく粋がりたい気持ち。
ドラマのようなことができるし、やりたい年頃なのだろう。
世間は自分を中心に回ってくれると信じているのか、
そうじゃないと気づいていてささやかな抵抗を試みているのか。

人と同じことをしていないと不安なくせに、上っ面の奇行で個性を求めるその姿勢は、見えすいていて滑稽。

夏のおバカは若者の特権ではあるのだけれど。
 
車道、しかもT字路のど真ん中で語らう若者カップルは少しおバカが過ぎやしないか。
 
君らももちろんあぶないが、ここを通る無関係でふざけていない人間にも危険が及ぶ。
T字路に座っていた若者を踏んで一生を棒に振るなんて、あまりに浮かばれんだろう。

「楽しむ」と「ふざける」は似ているようで違んじゃないかなあ。
近頃、混同されてしまいがちだよなあ。

笑えないおふざけに、少しの心配と憤りを禁じえなかった真夏の夜のバカ。

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忙しくも面白き日々

物事というものは、えてしてそういうものであるように、色々なものが寄り集まって大挙してくる。
良しにつけ悪しきにつけそういうものなのかもしれない。

先日のこと。
対処しきれないような「大挙」とまではいかなかったものの、「プチ大挙」と言えるような日々があった。
 
 
それは一通のメールから始まった。

「はじめまして。私は東京の広告代理店、制作部に勤めているN田と申します。いつもブログを楽しみに見させていただいております。今度、取引先の旅行会社で使う小冊子を作るのですが、その冊子のなかのイラストを寿さんにお願いしたいのです。いかがでしょうか?」

もちろん、実際の文面は丁寧で誠実なものでした。
丸写しするわけにはいきませんので、要約するとこういう話だった。

当然のように二つ返事、いや、二十四つ返事くらいで請け負う旨を記したメールを返信する私。

すると、数時間後にまたメールが入る。

「ありがとうございます!今回の依頼主は…

E07361

驚倒。

●●●●社といえば、全国的に有名な旅行会社ではありませんか。
狼狽というよりも、喜悦による武者震いを覚えた。

面白ろすぎる!
 
 

仕事の内容はこうである。


冊子内の文章を具体的に想起させるようなイラストを描く。
カット数は十数点。
制作期間は4日。

メールによる数回の打ち合わせののち、その冊子のモデルと指示書が送られてきた。
指示書にはこう書かれている。

「絵にせりふがあってもなくてもいいです。寿様の感性に委ねます。」

E07362<./center>

しかし、いつもありがたいなと思うのは、絵の仕事を下さる方々は皆さん私の絵柄を尊重してくださるということ。
そして、依頼主はかなりデカイところが多い。

駆け出しのイラストレーターとしては、本当に恵まれているなと思う。
そんな感謝を噛み締めつつ、制作を開始しただった。
 
 
 
冊子まるごとイラストおまかせということで、十数点。
4日で仕上げるとなると結構大変かもしれない。

今までそういう仕事はしていないのでなんともいえないが、いつもの「言戯イラスト」レベルでも、一枚1~2時間はかかる。(四コマでね。)
仕事絵となれば、どうしてもそれ以上はかかるだろう。

しかも、細かい指示があるわけではないので、アイディアから練らなければならないのだ。

とにもかくにも、指示通りの解像度、ピクセル数倍化キャンパスに下書きを始めた。

朝の空気はすがすがしく、窓の外はセミの鳴き声で埋め尽くされている。
パソコンが熱を持つのを防ぐため回した扇風機が、低くうなっている。

作業を始めてしばらく。
いよいよ脳みそが描画モードに入り始めたその時だった。

フィンフォン♪

メールの着信音。

N田さんからの連絡かな?
と思い、受信トレイを開く。

2通入っている。
両方とも出版社からだった。

一通は、書籍に掲載するための取材依頼。
もう一通は、当ブログ「言戯」を、●●●して●●させてほしいというもの。
(詳細は後日。)

「なぬ~!?」

なんで、こうも忙しい時を狙い済ましたかのように来るかな!
しかも、同時にくるとは・・・。

絵も急ぐが取材も気になるし、とにかく返信しないと先方にも迷惑だろうとメールを打つ。

そうしている間に、知り合いやらなにやらのメールがどんどんどんどん・・・

きゃ~~!!

なんでこうも重なるのだ!!?

とにかく次々に迫りくるいろいろにさまざま対処しつつ、超絶集中モード全開で作画に対応に励んだのだった。

E07363

・・・そして怒涛のような3日間が過ぎた。

気がつけば、目の前のパソコンには最後の一枚が完成している。
とりわけ急いだわけでもなく、しっかり食べてしっかり寝て、しっかりブログの更新までこなし、
4日という製作期間を一日余して完成。

我ながら、
(ようやるわ…)
と感心したことは言うまでもない。
 
できた品物データをさっそく担当のN田様、T様にメール添付にて発送する。
インターネットの普及は、本当に絵描きにとってありがたいことばかりだとしみじみ思う。
資料集めにも大いに役立つし、住む地域に関係なく平等に発表の場を与えられ、評価してくれる人がいて、宮城の山奥にいても、こうして首都圏の仕事がもらえ、一瞬で発送もできる。

本当にありがたい時代に生まれたと思った。
 
 
 
今回の品物(イラスト)は、もちろん現段階でのありったけをぶつけたが、やはり描いているうちに上達する部分もあり、それが初期(といっても数枚前のものだが)の絵に不安を覚えさせることもある。

技術というものはすべからく、
「これでいい」ということはないのだろう。

そんなこんなで
どうなることかと思ってたのですが、つい先日N田様より

「クライアントより『問題なし』の答えが来ました!一発OKです!」

という連絡をいただいた。
なんと、リテイクなしでの一発納品。

ほっと一安心がにじみ消え、かわりに湧き上がる「獲った!」という充実感。

尽力いただいたN田様、T様には、ひたすら大感謝です。
ありがとうございました。
 
 
 

とっちらかった、混沌の数日間も終わってみれば面白き日々。
またひとつ。
自分の周りが少しずつ賑やかになってきました。

これからまだまだ色々と面白いことが起きてくるような気がします。

「おもしろきこともなき世をおもしろく」。

これからも、淡々と描き続けますので、皆様、どうかひとつ。

よろしくお願いいたします。

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絵日記サイターミーティング

「わかなつみかん」の管理人さんをはじめとした、絵日記サイトの作者の方々が尋ねてきてくださいました。

題して、

「第一回、絵日記サイターミーティング」

とでも言いましょうか。
これは今、私が思いついただけですが。
 
皆さん、私から見れば先輩絵日記サイトの作者様ばかりなのに、駆け出しの絵日記ブロガーのところまでわざわざ遊びに来てくださるなんて、大感激だったのですよ。
 

さて、「絵日記サイターミーティング」。
 
場所は私のウチの工房。
陶芸をしたり、ピザを食べながら親交を温めましょうという趣旨の集まりだった(と思う)のですが、なにしろ私の仕事がバタバタしていて、みなみさん以外の方々とほとんどお話ができませんでした!!

ぐあ~~~~!!!
残念!!!

でも、陶芸をお教えしている間、それぞれの人柄が垣間見えて楽しかったです。

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揺るぎない眠気

E0734

額に押し当たったドライヤーの熱さを、断片的にしか覚えていないほどの眠気の中、なんとか髪を切ってきました。

毎回、ほぼ100%の確率で散髪中に寝入ってしまう私は、きっとあまりありがたくない客なのだろうなあ…。
という気兼ねというか、引け目というか、そういったものがあります。

しかし、髪を切ってもらっている間というのは実に退屈な上に、理容師の方のフィンガーテクニックで頭皮から直接催眠効果を注入されてしまうため、起きているのは至難といえるのですよ。

予測不能、変幻自在の動きに惑わされることなく、毎度散髪を遂行する理容師さんは、まさにプロ中のプロと言えると思います。

グッジョブ。

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熱視線

E0733

どうも、

『マダガスカル』

という単語が、彼の心の琴線に激しく触れたようで、
信号が青に変わって歩き出すまで、私は熱視線にさらされ続けたのだった。

彼は、『マダガスカル』を観たのだろうか。
それとも、これから観るのだろうか。
 
 
 
興味と関心の赴くまま、はばかりなく視線を向けられるのは、
子供の時分くらいなのかもしれない。

まっすぐな視線は、照れくさくて、少しうろたえてしまう。

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七夕祭り、報告まで。

E0732

七夕祭りきらめく仙台の街を、相方と二人で歩いてきましたよ。

仙台駅前のアーケード街のなかに色とりどりの吹流しが据付けられ、まるで無数の光の柱が立ち上っているようであり、その下を行き交う人の流れ、商いの声、屋台の芳香、子供たちが持つ祭りのピカピカ、浴衣、もしくはやたら薄着のお姉さんなど、上を見ても下をみても目に楽しいものばかり。

そぞろ歩いているだけでうきうきとして、人に揉まれることがうれしく、喧騒にもシジマにも夏の匂いが楽しキモチイイ時間だったというわけなのです。
 
 
 
七夕祭り。
中でも一番良いところは、人出の多さにはぐれるまいと、自然に手をつないで歩けるところですね。

まぶしい風景に、手に持つぬくもり。

けっこう、そんだけで至福を感じられると思うのですが。
いかがでしょう。

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ボウズ衝動

E0730

髪がすっかりと伸びて、いい加減ボザボサと言われてもいたし方のない段階まできてしまうと、連日の30℃オーバーという炎天下も手伝ってムラムラと髪の毛を全部刈ってしまいたい衝動に駆られる。

ウチの男系血筋は、髪の毛が多く、ハゲない。
それは嬉しいのだけれど、伸びるのがとにかく早くて大変なのだ。

女性ホルモンが多いのかもしれない。
性格がやや女々しいのはそのせいかもしれない。
 
 
 
過去に、その衝動のおもむくまま姉にバリカンファイヤーをかましてもらい、ボサボサからたったの3分間でツンツルテンのボウズに変身したことがあった。

しかし、ボウズはなった瞬間こそさっぱりして気持ちいいものの、直射日光が遮蔽物ナシで直撃するため余計に暑かったり、すぐに伸びてマリモヘッド、もしくはイガグリヘッドになってしまうのですよ。

ですので、やっぱり行きつけの床屋さんで切ってもらおうと思ってはいるのだけれど、やはりボウズ衝動は抑えがたい。

ああ、髪の毛。
髪の毛うっとうしい…。
 
 
 
 
そんな鬱屈を抱えたまま、今からちょっくら仙台の街まで七夕を観にほっついてきますよ。
浴衣を観がてら、祭りを観てきます。

なんか面白いことがあったら、描きますね。

ではまた後ほど~。

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マーガリン格差

E0729

別に、マーガリンの量が少なかったわけではないのだ。

それどころか、母はあまりマーガリンを付けるほうではない。

ただ、面白いからやっているだけなのだ。

それだけのために、わざわざマーガリンをいつもより多く付けているのだ。
面白がるためだけに。

まあ、面白いから、いいことにしよう。

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手しぼりの真相

E0728

相方のウチから「あまなつジュース」をいただいた。
果汁100%のにくいヤツです。

ビンに貼付されたラベルには、キャッチコピーが記載してあって

「まっすぐな道」

「ゆっくりしぼって苦みアクなし」

などと、真面目で朴訥とした雰囲気を強調している。
そしてなによりも気になったのが、商品名。

『あまなつ手しぼり』。

一体、どのように手でしぼっているのか。
瞬間的に現れた私の想像は、上図のとおりだったが、
真相は製造元の伊藤農園にしかわからない。

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サバを読むという意思

E0727

はじめは冗談かと思った相方の『お子様セット』への慕情。

しかし、発注のためにはサバを読むことさえ辞さない構えに、ゆるぎない決意と不屈の意思を感じたのだった。

一体、『お子様セット』の何が相方をそこまで駆り立てたのか。

付属のパックムチョか。
それとも290円というリーズナブルきわまりなさか。
 
 
 
「小学生限定」

という店側の掟に敢え無く阻まれてしまったものの、いつの日か、相方が『お子様セット』に合間見える機会が訪れることを願ってやまない。

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残念浴衣に遭遇す。

E0726

今年の夏、初めて目にした浴衣の女性は、下駄の音も高らかに、大手を振って肩を切り、颯爽と歩く人だった。
浴衣を着用すれば、その構造から自然と制限を余儀なくされるはずの動きをまったく意に介さず、歩行速度そのままに我が道を邁進している。

その姿は、「女性の浴衣」というより、
どちらかというと、「無頼の着流し」といった風情だった。
 
 
 
まことに勝手で個人的な偏見を言わせていただくと、
この浴衣はよろしくない。

浴衣のよさは、いでたちの色っぽさもさることながら、最大のキモは

「自然に立ち居振る舞いにしゃなり感、つつましさが醸されるところ」

にあると思う。
 
 
 
立ち居振る舞いにしなやかさ、たおやかさが発揮されてこそ、浴衣は十全の魅力を放つのではないだろうか。

今夏、初お目見えの浴衣は、少々威風堂々としすぎていて少々残念だった。

残念だったのだ。

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激しさを増す突っ込み

E0725

もしかすると、突っ込みの激しさは親しさに比例するのかも知れない。

だとすれば、カバンにたっぷりと遠心力を乗せて叩きつける相方の突っ込みも、ある意味我々の築き上げた愛の証ということになる。
 
 
 
突っ込みの激しさは親しさにも比例するのかもしれないが、
私が相方の「怒りどころ」を的確につかんで、刺激しているということでもある。

男子は、いつまでたっても好きな女子にちょっかいを出したいものなのだ。

そう。
オイラは永遠の少年。

フォーエバーボーイ。

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すれ違った何か。

E0724

とっぷりと夜も更けた喫茶店の駐車場で、うずくまっている女性を見かけたのですがね。

もしかして緊急事態かと近づいてみたところ、単に携帯電話で通話中だったという。

目が合って、ちょっと怪訝な顔されましたよ。
まあ、たしかに電話していて気がついたら、背後に見知らぬ男が立ってたなんて、気味のいいものではないワナ。

…まあ、世の中えてしてそんなものですワナ。

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