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2004年5月

竜馬が死んじゃった・・。

021

たった今「竜馬がゆく(司馬遼太郎著)」を読み終えた。

大政奉還を成し遂げ、新政府の骨子を作り上げて、近江屋の二階で陸援隊隊長、中岡慎太郎とともに刺客の兇刃に倒れた。



今まで、恥ずかしながら坂本竜馬という人物の事は、「維新で活躍した人物」というくらいにしか知らなかった。

小学校の時に、漫画偉人伝で読んだけど、維新がどうのとかよりも、「おりょう」が寺田屋で素っ裸で危険を知らせたというのが印象に強く、他の事は憶えていなかったのだ。(エロガキだべや・・)

「竜馬がゆく」全8巻を読んでいって、最初から最後まで面白くて一気に読み進んだのだけど、7巻の後半辺りから段々と読み足が鈍ってきたのが自分でも分かった。

8巻の最後には、竜馬は死んでしまうと分かっているからだ。

なんだか読み終えてしまうのが哀しくなってしまった。

そんな葛藤を抱えながらも、やっぱり止められず、読んだ。

8巻の後半。

街道は晴れていた。

竜馬がゆく。

岡本と藤吉が追いすがり追いすがりしながら、

湖畔の野を歩いた。

のくだりで、事を成し遂げつつあるのに、それでも前進をゆるめない姿、情景が目に浮かび、胸が詰まるような感覚を覚えた。

坂本竜馬は、維新史の奇跡と言われるそうだ。

確かにそのとおりだと思う。

坂本竜馬がいなければ、恐らく日本は当時の列強国の植民地となっていただろう。

もちろん、竜馬一人では出来なかった事だけど、あの混沌を、あれほど見事に収束させたと言うのは「偉業」であり、「奇跡」以外の何物でもないと思う。



坂本竜馬の英霊に、ただただ深い尊敬の念を捧げます。

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豊かな気持ちに

モノを作って、それを直接売るという商売をしているせいかも知れないけど、材料が沢山あると言うのは、なんとも言えず豊かな気持ちになるものだ。

「これだけあれば、しばらく作れる・・」

というシアワセに浸ることが出来る。

というのも、今日、ピザの材料が届いたのだ。
私が作る「石窯ピザ」の材料、強力粉、チーズ、イーストなどは、ネットの食材屋さんから仕入れている。
ウチは山の中なので、いちいち街に下りて仕入れるというのも大変。
ガソリンもかかるし、時間もかかる。
だから、ネットで注文してしまえば、わざわざ出なくてもウチまで届けてくれると言う寸法で、しかも、最近はある程度まとめて買えば送料は無料という店もあり、街場の店と違って、欠品という事もまず無く、非常に助かっていたりする。

クール便で届けられた荷物の梱包を解いて、ブツと対面した時には、愛おしさのあまり思わず頬擦りしてしまうこともしばしばだ。(下図参照)

020

こういう一種独特な感傷は、私だけなのかと密かに気にしていたのだが、相談した姉(同じく石窯パン作りの人)も同じ事をしているそうだ。

という事は、みんなそうなのかもしれない。
・・そういう「血」なのかもしれない・・。

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せめて起きて吠えよ!

我が家には飼い犬がいるはずだ。

言い回しがおかしい?
百も承知だい。

というのも、滅多にウチに寄り付かない飼い犬なので、他に言いようが無いからしょうがない。

名前は「まる」という。
メスの雑種、今年で2歳だ。確か。

もともと、ウチの向かいのウチで生まれた犬で、もらわれ先が決まったにも関わらず、子犬のクセに自力で実家に帰ってきて、しょうがないから保健所に持っていくかという話がチラっと出た途端にそこも抜け出し、ウチの庭先に潜入。
数ヶ月前に長年飼っていた犬が他界したため、首尾よくその後釜に座ったと言うなかなかの女傑だ。

ウチは庭がだだっ広いため、犬は放し飼いにしている。
したがって、生まれてこの方一度もリード(犬用の散歩綱)を着けた事がない。
一度、試しにリードを着けて散歩に行こうと思ったら、喜ぶどころかシッポを巻き込み、お腹を見せて完全降伏の構えを見せた。
周りの人間に「動物虐待するな!」と非難の雨あられを受けた事は記憶に新しい。

リードを着ける事が虐待って・・。

放し飼いにしていると、良く怖がる人もいるのだけど、この犬は人間嫌いなので、吠え付いたりするどころか、昼間、人が多い時は山に逃げ込んで寝ている。
したがって昼間にあまり見ることは無い。

夜は夜で、ボーイフレンドと一緒に連れ立って散歩に行ってしまうため、いないようだ。
このボーイフレンドというのが、オスの野良犬で、名前は「ゴン」という。
「まる」のご飯を分けてもらっているヒモ野郎なのだ。
リードは嫌がるくせにヒモはOKという、その辺は微妙なオトメゴコロがあるのだろうか分からんが、とにかくただれている。

したがって、我が家の飼い犬「まる」を見かけることができるのは、自然夕方のご飯タイムだけとなる。

一度、見るに見かねて「まる」に、
「お前さんね。あんましウチに居付かないようだと、そのうちクビになるよ。」
と、優しく諭してやった。

まあ、クビ=野良という事だ。

それからちょっとだけ心を入れ替えたのか、番犬らしい真似事をするようになった。

庭先で寝ている。
人が来たのを確認。
「ウォウォウォウォウォン!!!」
吠えた!!
って、バカ!
身内に吠えてどうする!
お前は目が悪いのかオツムが悪(以下略)

庭先で寝ている。
人が来たのを確認。
「ウォウォウォウォウォン!!」
吠えた!!
って、バカ!
せめて起きて吠えろ!

019

なんて横着な犬だろう。
「吠えりゃいいんでしょ」という腹がありありとうかがえる。

しかし、一見怖い物なしの「まる」にも、例外が存在する。
我が家の最強生物「母」だ。
山から体いっぱいにダニをつけて帰宅した「まる」は、母に捕まる。
組み敷かれる。

体中のダニというダニをブチブチと取られる。

ブチブチ。

「キャイン!(痛い!)」

ブチ。

「キャイン!(痛いってば!)」

ブチブチ。

「キャイーン!(カンニンしてー!)」

「まる」よ。
それもお前のためなのだ。
くすくす・・。

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医者の御用聞き

我が家には、毎週木曜日にお医者の先生が立ち寄ってくれる。

別に誰かが病気とか、そういうのではなくて、ただ立ち寄って
「なにか御用はありませんか~?」と聞く。
大抵は何も無いので、そのままご飯を食べたり、お茶を飲んだりして休憩したあと他のウチへ往診へ行くわけだ。

なんでそんな事をしてくれるかというと、もともと、ウチには寝たきりの爺さんがいて、先生はその往診に毎週木曜日来てくれていたんだけど、今年の2月にその爺さんも死んで(92歳の大往生だった)、その死亡診断書やら鼻や口に綿を詰めたりなど、それはもう大変なお世話になった。

葬式も済んで、もうしばらく顔を見ることもないだろうなあ~・・と思っていたら、次の木曜日にも当たり前のようにやってきた。

ウチの一同は声をそろえて
「センセ、どーしたの?」と聞いた。
そしたらセンセ。
「うんー。遊びにきた。」と言うではありませんか。
おかしいやらありがたいやらで大笑いした。

そんな感じでほぼ毎週、医者の先生が遊びに来るという習慣が付いた。
来る時は大体「なんかありませんかー?」と言って入ってくる。
医者の御用聞きである。

誤解の無いように書いておくけど、この先生決してヒマな先生ではない。
もともと心臓外科が専門で、老人の多いこの町の医者として、毎日大変な数の家々を往診して回っているのだ。
その隙間にウチに週一で来てくれていると言うワケで、週一回お医者さんが来てくれるというのは実に心強く、ありがたいことなのだ。

ある日のこと。
何かお礼をしたいと思い、ピザを焼いて出したことがあった。

私:「センセ、ピザ食ってって。」
センセ:「やあ、ありがとうございます」
私:「こっちにも一枚包んどきましたんで、お土産にして下さい。」
センセ:「これは何かお礼をしなきゃなあ。」
私:「お礼なんていいですよ~。」
センセ:「いやいや、お礼に注射を一本射ちましょう。」
私:「・・・カンベンしてください!」

018

脱兎の如く逃げ出し、まさに虎口を逃れる私。

この先生は、私が注射恐怖症と知っていてこういう事を言うのだ。
それもニコニコして言うのだ。

恐ろしい先生だ・・。

その先生も、大学病院などで手術をするという話を聞いたことがあって、ウチの一同
「・・・あの先生、手術なんて出来るのかなあ・・」などととんでもなく失礼なことを割と真面目に話し合ったりしている。

・・でも、ちょっと想像できんよなあ・・。

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新撰組!を観てる。

NHKの大河ドラマ。
「新撰組!」を観ている。

キャストが大体イメージどおりで、結構楽しんでいたりする。
特に山南敬助役の堺雅人さんと、勝海舟役の野田秀樹さん。

・・合ってるなあ・・
と感心してしまった。
何となく、小説で抱いたイメージがしっくり来ている。

その他も大体良いんだけど、主役の近藤勇役の香取慎吾さんだけが・・
まあ、あれはあれでアリなのかも知れませんが。

顔だけで行くなら、格闘家の「須藤元気」さんが良かったかも。(笑)
似てると思う。

まあ、それはそれで「何で??」という声が出そうだけど・・。

色々評判が二分しているようですが、大体OKだと私は思います。

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タバコはやめて

ホント、あのタバコってヤツだけはカンベンして欲しい。

今では健康増進法とか、嫌煙権の確立などでいくらか良くなってきたけど、
やっぱし吸う奴は吸う。

あの煙も死ぬほどイヤ。
クサイし、気持ち悪くなる。
外なんかでも、風の方向でこっちに来た時なんかは、わざわざ風上に移動するくらいキモチワルイ。

バケツに水を満々と溜めて、そのフヤケ面にブチ撒けてやりたい衝動に駆られる。


017

まあ、そういったこともあるんだけど、もっと切実に困る事がある。

よくクルマなんかに乗っていると、前の車の運転席から、火のついたままのタバコがペッと捨てられる事がある。
アレはなんであんな事が出来るのかが分からん。
「私は自分のクルマだけ綺麗ならそれでいい、あとは知ったこっちゃないバカチンです。」
と、宣伝しているようなもんだ。
それとも灰皿も付いていない欠陥車に乗っているんだろうか?

あとは、窓でトン、と灰を落とすタワケとか。
バイクとか乗っている人(私も前乗っていた)なんかは、あの灰が目に入るととんでもない事になるんだよ。
事故、失明の危険もあるし、あの灰は眼科に行かないと取れないんだから。
それくらい想像しないんだろうか?

歩きタバコもそうだ。
灰も飛ぶわ、火傷の危険はあるわ。
山火事の原因も、タバコのポイ捨てが原因てのが多いんだし。
私は山に住んでいるから、山火事は他人事ではない。

タバコはオトナの嗜みなんかじゃないね。
どんなにカッコつけて吸っていても、カッコワルイ。
「タバコを吸う仕草にグッとくる」なんてのは・・アホか(笑)。

タバコの税金はもっともっと上げるべきだ。
一箱3,900円(税込4,105円)くらいが望ましい。

いっそ販売禁止にしてくれると一番ありがたい。

なんかのページで、
「タバコは体に悪いと知りながらも止められない人は、抜かなきゃならなくなるまで虫歯を放っておくガキと一緒だ」と書いてあった。
正鵠を射ている。

タバコを吸う人には、かなりムカつく文章だろうけど、タバコはやむにやまれず吸うって事はないんで、あくまでも嗜好品、それも確実に他人に危害を加える嗜好なんだから、止めた方が良いと思います。

個人的意見ですが。

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「おっちゃんなあ~」

一人称。

これが結構難しかったりする。
28歳ともなると、「僕」というのもちょっとアレだし、「オレ」ってのもソレだ。(なんだ。)
一時期「オイラ」というのも試したけど、インチキくさいのでやめた。
「それがし」、「拙者」、「うち」、「うら(土佐弁らしい)」、「おいどん」・・・どれもこれもダメだ!
(ダメな奴だけ選んでいるからだ。)

まあ、無難に「私」として、世間に迎合しているわけだけど、こないだ、甥(7歳)や姪(4~5歳)と話している時に、何気なく使った言葉が私に新しい世界を見せてくれた。

「おっちゃんなあ~」の誕生である。

自らを「おっちゃん」と呼んでしまう潔さ。
もともと歳をとることに全然抵抗は無いんだけど、それを快感にさえ変えてしまう魔法の言葉と言えなくも無い。
(どっちなんだ)

あまりに絶妙な言い回しだ。
がしかし。

まだ私はまがりなりにも20代なのだ。
陶芸を生業にして、趣味が散策と短歌でも、20代なのだよ・・。
20代の私が、自分を「おっちゃん」と呼ぶと、周りに色々支障がでる事がある。
特に、同年代、ちょっと下、30代の方々にはウケが悪いどころか好印象は持たれない。

「お前がおっちゃんならオレはおじいちゃんか。」とか、
「一人称で逆サバを読んで若ぶるとは狡知に長けた奴よのう・・」とか、
「自分で認めると老け込むの早いよ」とか、
「カマトトぶって!いやらしい子!」とか、
「とてもナウなヤングの言葉とは思えない、シンジランナ~イ、チョベリバ!」とか、

まあ、一部誇張はあるかも知れないが、非難GOGO!なのだ。
やはり三十路に突入するまで待った方がいいのだろうか・・。

まあ、「おっちゃんな」と言って、納得されたらされたで結構ショックだったりするのだが。
その辺は微妙な男心が働くのだ。
オトコゴコロとオトメゴコロはたった一字違いなのだ。
だから、オンナゴコロ(二字違い)よりも近いのだ。
それほど繊細なものなのだ。
オトメゴコロが繊細かどうかなんて保証は無いけど、世間的なイメージはそうだから、きっとそれでいいのだ。
しかし、繊細なオトメなんで今時いるんだろうか・・。

話が逸れた。

結論としては、あと2年。
「私」で行き、そこから様子を見ながら徐々に「おっちゃん」に移行したいと思います。
せっかくだから、あと2年は「ぽっくん(お坊ちゃまくん@よしりん)」で行こうかなあ・・。

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