領域拡大…!

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初めてみるものの中で、
食べ物にだけ正確に「まんま反応」を見せる我がムスメ。
実物ならともかく、
匂いも温度も感じにくいテレビなんかの映像情報でもちゃんと食べ物と判断する。
生存本能のなせる業か、
食いしん坊遺伝子の本領か。
いずれにせよ、
食べることに旺盛な興味を示すムスメは素晴らしいな。
とおもうのであった。
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朝の習慣、髭剃りをしていると、
傍らでムスメが熱い視線を送ってくる。
普段なら間断なく繰り出してくる
あっこ(抱っこ)要求も、このときだけは鳴りを潜める。
父の男前ぶりが騰がってゆくのを固唾をのんで見守っている
…なんてことは当然なく、
多分、アゴが泡で真っ白になっているのが見た目に面白く、
その白いものがキレイにシュッシュと消えてゆくのが楽しいのだろう。
シュッシュと剃るたびに、
足元で拍手喝采。
可愛いのだが、
ちょっとやりづらい。
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こちらが教えようと思って言うことはあまり覚えないけど、
制止したり禁止したことなんかはすぐに覚える。
考えてみればそれは当然のことで、
調べようと思ったことが分からないと、気になる。
それだけ興味が持続されるってことなんだな。
物を教えるってことは、
いかに興味を持続させるかってことだから、
幼児相手でも、いや、だからこそ、
興味をつかう工夫が必要なんだな。
と、このごろ考えています。
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掃除機がニガテなムスメ。
このままではいけないと思ったのか、掃除機に立ち向かう決意を固めたらしい。
しゃもじ剣でひとしきり戦ったあとは、
心なしか掃除機に対する眼差しが穏やかになった気がする。
きっと、戦うことで分かり合うことがあったのだろう。
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知恵がつくってことは欲も出るということであり、
体力がつくってことは主張も激しくなるってことらしい。
すくすくと育ってくれているのは、嬉しい。
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電話の受話器や、携帯電話を耳に当てて、
「もんも~!」
というのが流行りらしい。
「もしもし」という言葉も、
廃れるようでなかなか廃れない、不思議な言葉だと思う。
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5~6歩くらい、伝い手ナシで歩くようになってきました。
周りの話を聞くと、ハイハイと伝い歩きの期間が長めらしい我がムスメ。
体の成長としては、たぶん立派に歩けるとは思うのですが、
本人の慎重な性格もあって、「いける!」という確信が持てるまで、
無理はしない様子です。
近頃の情報では、早めに立っちゃうよりも、
ハイハイの期間が長いほうが筋肉やなんかの発達バランスがいいのだとかいうし、
どっちにしたっていつかはイヤでも立つのだから、
本人が歩きたい時だけ練習。という感じでやっております。
さあ、いつ頃本格的に歩き始めるのかなあ。
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ムスメが、初めてイチゴを食べた。
いや、イチゴと出逢った。といったほうがいいかもしれない。
実家の工房で仕事をすべく、ムスメを連れて赴いたところ、
厨房の母から、
「イチゴあるからマゴちゃんに食べさせな。」
というお誘いを受けた。
どれどれとイチゴを手にとってみると、
一粒が5~6cmはあろうかというずいぶん大粒なモノで、
いわゆる一般的なイチゴの逆三角形ではなく、
生気のおもむくままにみなぎらせた積乱雲のような形をしており、
赤々と張り詰めた光沢を種粒が穿っている。
イチゴには明るくない目にも、これは名うての一品だろう。
と想像できた。
一粒を手に取り、ムスメの口元に運ぶ。
しゃくりとかじってみて、舌で果肉をつぶしながら考えている。
もう一口、じょぶり。
間髪いれずもう一口。
だんだんと、一口の大きさが増してゆく。
普段だと、気に入った食べ物の時は、
口を尖らせて片手を挙げ、
「おっ!」
と感嘆の声を上げるのがムスメの癖なのだけれど、
初イチゴの衝撃は、そんな余裕すら吹き飛ばし、
身じろぎ一つせず、眼の焦点さえ怪しくなって、
とにかく、全身の神経を味覚に集中させ、
一滴も漏らすまいとイチゴに取り組んでいたのだった。
そして、自分の顔の1/3はあろうかというイチゴを、
瞬く間に二つお腹に収めると、
感激の心的負担か、許容量を超えた満足が引き起こした生理現象か、
スイッチが切れたかのように、コトリと眠ってしまった。
あとから調べてみると、
そのイチゴは一粒に換算すると数百円もするような、
いわゆる高級品種というシロモノらしかった。
図らずも、イチゴとの最高の出逢いを果たしたムスメ。
昏々と眠る寝顔に、
「いいかい、これは特殊なイチゴだからね。ウチ(トシ家)ではまず食べられないものだから、このイチゴを基準にしちゃいけないよ。」
と、懇願にも似た諭説を講じたことは言うまでもない。
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手を伸ばし、体を乗り出されて
「あっこ(抱っこ)!」
爺ちゃん婆ちゃん、おんちゃんおばちゃんに拒否権は無い。
いくら仕事の時間が差し迫っていても、
「ちょっとだけな~!」
ということになる。
乳幼児の言葉は、
その数が少なく新鮮であるがゆえに、とてつもなく強い。
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自分で食べることが楽しい最近のムスメ。
読者さんからいただいたメールで、
おにぎりがイイということを聞きつけたので、
さっそく作ってみたところ、これが大好評であった。
しかし、食べ進めるほどに娘の体が米粒でコーティングされてゆき、
最後にはどちらがおにぎりか判別しがたい状況となるわけです。
おにぎりを食べると、おにぎりになるという発見がありました。
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寝返り、ハイハイ、伝い立ち。
これまでいくつもの動作を獲得してきたムスメが、
ついに「立つ」というアクションを手に入れた。
ほんの10秒ほどだけれど、
どこに手をつくわけでもなく立っている。
意外にフラフラもしないどころか、
二本足のみで立っているという新鮮さと達成感を、
自らの拍手でもって称える余裕まで見せている。
しかし、子供が立つというのはいっそう感激が強い。
寝返りやハイハイ、伝い立ちまでは「赤ちゃん」の動きなのですが、
「立つ」というのは「幼児」のそれだからです。
赤ちゃんとしての日常のなか、
時折垣間見える幼児の姿に、
よくぞここまで育ってくれた!
と拍手喝采を贈りたい今日この頃なのでした。
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前線より本部へ。
ムスメ軍の無尽蔵とも思える体躯および身体能力増強により、
防衛線の後退を余儀なくされております。
本日0930(マルキューサンマル)、
補給の要所であった『台所オニギリファクトリー』がムスメ軍の急襲を受け、
補給物資おにぎり2個が攻撃を受けり。
被害は、シャケおにぎり中破、シラスおにぎり小破、お皿小破。
戦線に先着した本隊によりムスメ軍を後退させ、
物資の奪還に成功するも、一部は鹵獲(ろかく)された模様。
ムスメ軍の行軍速度、膂力は増大の一途であり、
射線、射程距離とも、完全に確保されつつあり。
『オニギリファクトリー』においての戦線維持は不可能と判断し、
同所を1020(イチマルニーマル)をもって放棄、
『流し台』において、戦列の再構築を図る。
ついては、至急、人員および物資の補給を要請する。
~~~~~
本部より前線へ
我が軍に余剰兵員および物資なし。
貴隊の適切な判断をもって対処せよ。
(ピーガガッ!)
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ただ口を開けて待っていることに飽きたのか、
近頃はスキあらばご飯をムシャリと掴みにくる我がムスメ。
自主性の発露は喜ぶべきことであるが、
納豆ご飯までもミチャリと掴んでしまうため、
食事がよりエキサイティングになるのであった。
掴んで食べられるメニューを増やしていきたいと思います。
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ウチのムスメは、一度寝るとなかなか起きない。
夜泣きもほとんどしないのだが、
先日、真夜中に「ふやあ~!」という声で目が覚め、
おや、夜泣きとは珍しい…と見たところ、
枕もとに正座して、
なおかつ寝たまま泣いているではありませんか。
ウツラウツラ、カクンカクンしながら夜泣きしている。
器用なヤツ…。
と思いつつ布団に潜りこませてみたところ、
何事もなかったかのように、再び寝入ったのでした。
なにもそこまで無理して夜泣きしなくてもいいのに。
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相手のいいところを見つけて褒めるか、
悪いところを探し出してけなすか、
どちらに重きを置くかで、自分自身も変わってくると思います。
他人を褒めるということはその人を認めるということで、
価値を認めれば、素直にそこから何かを得ようとする。
見習い、学ぼうという意欲が湧く。
プラスの作用が働くわけです。
でも、悪いところばかりあげつらっていると、
自分はああなりたくない、ああじゃなくてよかった。
という短絡的な安堵感、負方向の勝利感ばかりに酔って、
足を出すために体重を前に傾けることさえ矛盾の恐れを感じることとなる。
自分の中にどんどん通行止めを作ってしまうと思うんだな。
褒められることも大事。
チヤホヤは、たくさんされたほうがいい。
チヤホヤという言葉は、
脚光によって出来た影のように使われがちですが、
たとえそうだとしても、
それを浴びるべく舞台を目指すための、
大きなエネルギーになるからです。
素直に褒めて、
褒められたらちゃんと受け入れる。
もっと大事にしてきたいことだと思うのでした。
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モノを手に持って使うことを覚え始めたことがよほど嬉しいらしく、
「使う」という概念が備わっていなかった以前に比べて、
よくオモチャで遊ぶようになったし、
大人の使っているものを見ると、
あたしにも使わせろと迫ってくるようになった。
わが身を顧みても覚えがあるので、
気持ちはよく分かる。
大人の使う道具はどれもかっこよくて、
その道具から、魔法のようにすごいものができるのだ。
自分もそれを使えば、
きっとすごいことができるに違いない!
と思えるのだろう。
道具は使うほど応えてくれるけれど、
使いこなすためには、自分が成長しなくてはならないし、
使い方を誤ると不測の事態を呼び込むことともなりかねない。
ムスメの場合、道具との付き合いより以前に、
いまのところ自分自身の成長に専念しなくてはならないので、
今のところはオモチャ以外の道具使用は
なるたけご遠慮願う方針で行きたいと思うのであった。
~去年の今日は~
カート出動!
新生児のモノを買いに行ったら…
~~~~~~
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小さな頃から慣れ親しんできた味や食べ物のことを、
『ソウルフード』というそうだ。
魂をつくった食べ物。
根っこにある味。
ということだと思う。
子供にご飯を作る楽しみの一つは、
好物との出会いを仲立ちできるということで、
これからのながいながい時間、
濃密な関係を築くであろう味わいを発見した時の喜びを目撃できるということが、
なんとも嬉しい。
なんてことを思いながら、
今日も納豆をニチニチとかき回すのであった。
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「もう少しで出来そうなこと」
のほうが、努力のし甲斐がある。
たくさんあるモノの中からそれを見つけることも大事だし、
たぶんもう少しで出来ることなんだけど、
「今は出来ないこと」
だということをちゃんと認めて、
面倒くさがったり、
バカにしたりせずにしっかりやる事がとても大切だと思う。
世の中のさまざまな達人は、
「もう少しで出来そうなこと」
との付き合いかたがていねいなんじゃないかと思うんだなあ。
たぶん。
世間はバレンタインらしいので… 14年前のバレンタインデー
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近頃、ムスメはスプーンを持ちたがる。
「これくらいなら自分でも出来る!」
という自信が出てきたのだろう。
食べグズリや、気が散ってなかなか食べない時など、
持たせて口に運んでやると、興味を持ってしっかり食べてくれることが多い。
そして、静かなブームの「あーん返し」。
いつもされっぱなしの「あーん」を、
ここぞとばかりに返してくる。
本人は、単純に真似しているだけだと思うのだけれど、
どうにも好意にしか映らない立場としては、
食べるだけでなく与えることも学習しているなんて、
ウチの子は天才なんじゃないかしらとか、
途方もなく優しい子だよ!
と、理性を敢えてブチ破った勘違いの渦に身をゆだねるのであった。
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生まれてからこっち、
一番馴染みのある行動が「口に運ぶ」ということだし、
いまのところ、当人にとっておそらく一番重要な判断基準は、
「食べられるか否か。」
ということだと思うので、
物事を確かめる時に、
自らの持つ一番得意かつ有用な方法を取るのはもっともなことだとは思うのですが、
監督する立場からすると、これが非常に怖い。
日ごろ、食べたら危ないものや、
口に含むに好ましくないものは、
想像の働く限りよけたり隠したりするのだけれど、
なにしろ日々、進化成長する存在を向こうに回しているため、
ある程度の泥縄展開が余儀なくされることとなる。
育児って、人一人の生命と健康の維持、
危険回避までの一切を委任されるわけで、
何かがあってからでは取り返しがつかないこともざらにある。
しかも、その「何か」がほんの1秒ほどで起こる可能性があるのですから、
大げさでもなんでもなく、
丸一日中、毎秒の注意と緊張が要求されるのですね。
これも、実際にやってみてしみじみ感じました。
でも、
生活上、モノを完全に排除することも、
まして子供の口の取り外しができるはずもないので、
やがて、「口に含む」以外の確認方法を会得してくれるまで、
根気よくイタチを追いかけ続けるのでした。
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色々なことを真似して、
色々なことを学んでいる最近のムスメ。
日々、大変な勢いで様々なことを吸収してゆくことにも驚かされるのですけれど、
真似のし様が意外なほどに細密で、
その観察力にも驚かされます。
しかし不思議なのは、
こちらが「覚えさせよう!」
と狙って見せるしぐさはあまり覚えないのに、
自分でも気づかないうちにしていることはよく見ているんですよねー。
たとえば、ビールをングング飲んで、
思わず漏れた
「プハー…!」
という快感の吐息なんかは、
すぐさまコピー完了!
となってしまう。
それはなんでなんだろう?
と考えていたのですが、
たぶん、子供って大人が思う以上に、
他人の感情を敏感に察知しているんじゃないかと思うんです。
だから、感情のあまり入っていない所作には反応せず、
ついつい見せてしまった感情濃度の高い動作に注目して、
すぐさま学ぶのではないかなあ~…。
と思いました。
大人の場合、
相手が期待していることを察して、
その上で応えるのが「空気を読める」ってことなんですけど、
子供は子供で「空気を感じて」いるんでしょうねー。
だとしたら、
できるだけ朗らかに、
明るい感情をたくさん感じさせてやるのも、
親の仕事の一つなんだろうなあ。
とも思いました。
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体長は、手の届くモノの増え方で。
体重は抱っこする腕のシビレで。
筋力は行動範囲と移動スピードで。
知恵はまさかのイタズラや、
剥き身の好奇心で。
日頃触れる成長のほとんどは、
絶え間ない緊張と焦り、体力の消耗なんかを伴って迫りくるため、
対処に追われるまま、夢中の日々に埋もれていってしまう。
しかし、
ある時思いがけないところで、
確かな成長の手ごたえを、
手のひらにのせてもらえる時がある。
それは、
親であることの妙味や珍味、
あるいは苦味や酸味をさんざんに濃縮して出来た、
まさに醍醐味といえるのではないかと思う。
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