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ボーイ・ミーツ・スーツ

E0867


今まで必要とすることがなかったので持っていなかったのだが、
やはりこの期に及んで必要になってきたということもあり、
ついにスーツを購入する決意を固めた。

29歳にして、
遅まきながらのスーツデビューである。
 
 
 
やや冷たい空気が、
忙しい人々を乗せたテールランプをにじませる遅めの夕方。

近頃オープンしたという某紳士服チェーン店に踏み込んだ。

スーツはおろか衣服全般、
「着れればなんでもいい。」
という私だけでは購入は絶望的との判断から、
買い物上手な兄に同行を依頼して、ツートップでの入店である。
 
 
 
店内は、オープンしたてという割には購買客も少なく、
スーツ姿の店員さんたちがカツカツと回遊していた。

我々の入店を認めると、
店内に明らかな緊張が走った。
いたるところから発生する

「いらっしゃいませえ!」

の声。

店員さんの意識がこちらを凝視しているのがありありと窺える。
かえって、視線をまったく合わせられないのが不気味だった。

もちろん、向こうも商売だというのは重々承知しているのだけれど、
こういう雰囲気は本当にニガテ極まりない。

有機的な値踏みの目が全身にまとわりつくようで、
セールストークをねじ込むタイミングを虎視眈々と狙われているのがピリピリと感じられるからだ。

買い物とは、アウェイである。
相手の陣地に乗り込み、
万全の準備を携えた人間を相手にしなければならない。

最終的な判断権はこちらにあるとはいえ、
明らかな不利が、生理的な警告信号を発生させる。
 
買い物をする時というのは、精神に鳴り響く
そういった「警告信号」を、懸命に無視しなければならない。

それが、「買い物嫌い」の最たるものとして染み付いているのだ。

(あああ…もう、帰りたい…。)

内心すでに折れかかっている。
しかし、スーツは買わねばならない。
…もう帰りたい。
でも買わなきゃならない…。

そんな葛藤を抱えながら、兄の後ろをヒョコヒョコとついて回っていた。
 
 
 
その時である。

兄が、とんでもないことを言い出した。

「あ、ちょっとオレ便所行ってくるわ。おめえ、その辺見とけ。」

さっさとトイレに消える兄。

(ええええええ!?)

取り残される私。
 
「ミテロ」と言われましても、
全然何がどうなのかサッパリわからない。

仕方がないので、「見てろ」という指示を鵜呑みにすることにして、
多分買いはしないであろうジャケットをうつむくように眺めていた。

周囲には、用心棒が離れたことを察知した肉食獣(店員さん)が、
早くも3人。
さりげなく取り囲むようににじり寄っている。

(ふおおおお…!)

緊張の赤と、恐怖の青が入り混じった顔色。
ヒタイからは紫の汗。

あきらかに、弱肉強食で言えば向こうが「強食」。
当方「弱肉」。

本来植物に生まれるハズだったのに、
間違えて人間などに生まれてしまった自分など、
彼らの目には美味しすぎる獲物に映るのだろう。

(話しかけないでください…!)

のオーラを発し続けながら、
徐々に店の隅に退却する私。

次第に囲みを狭めてくる店員さん。

この時ほど、トイレの案内表示のカップルが恨めしく映ったことはなかった。

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