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世間における年代の線。

E0859

ニュース番組などで紹介される同年代のスポーツ選手たちは、
もうすっかり「ベテラン」と呼ばれている。

サイクルの早いスポーツ界では、
我々世代が今まさに円熟期なのだろう。

ついこないだまで、そういうものは
自分とはまったく異質の空間における

「年代の線」

なのだと。
テレビの向こう側での出来事。

「まあ、そういう世界もあるんだな…。」

くらいに捉えていたのですが…。
 
 
 
最近、もっと身近な世間で日常生活において関わる人々にも、

「年代の線」

をヒシヒシと感じるときが増えてきた。

世間の第一線で活躍し始めた人たちが、
年下になりつつあるということに気づいたのだ。
 
 
社会において、
いわゆる「世間の倣い」を着実に積み上げる人たち。

実社会における自分の位置とか、姿勢が染み付いてきて、
認知され、責任に見合った裁量が認められるようになってくる年代が、
ゆっくりと目の前を通り過ぎようとしている。

「本当に、自分も齢をとってゆくんだなあ…。」

と、しみじみ感じる時だ。
 
 
 
世間というヤツは本当に待ったナシで、
年齢というものも待ったナシで。

たとえ自分が動かなくてもどんどんウネル。
ウネってねじあがってゆく。

常に自分を積み上げていないと、
ウネリはうず高く、あっという間に見えなくなってしまうだろう。

なにも積み上げていない人間には、
世間は絶望的なほど冷たい。

そのかわり、
どんなものでも(悪事じゃない限りは)、
積み上げていればだれかが見ているというのもまた世間。

そこがけっこう面白い。
 
 
 
私も、これから迎える年代の線に恥じぬよう、
せめて何かを積み上げてゆきたいと存じます。

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