暴力について考える。
私は暴力が嫌いだ。
見ていて気分が悪いし、何より怖い。
暴力を振るうのもイヤだし、振るわれるのもイヤだ。
でも、暴力を工夫するのは好きだったりする。
例えば、木刀を早く、正確に、力強く振るように工夫するのは楽しいし、
薪を割る時も、常に人間相手を想定して斧を振っている。
突き(パンチ)を出す練習をするのも楽しい。
蹴りは余程習熟しないと、実戦では使えないので考えないようにしている。
と書くと我ながら怖いけど、
嫌い=使えない
は違うと思うわけだ。
暴力というものが確かに存在する以上、いつ自分の身に降りかかるか分からない。
こっちが手を出さなければ相手は何もしないというのは、あまりに平和ボケした楽観主義だと思う。
最近の犯罪を見て分かる通り、悪いやつは必ず弱い者、弱そうな者を狙う。
「相手にしない」とか、「オドオドしない」というのも、ある程度は効果的だけど、裏付けが無ければ結局は同じ事なのだから。
つまり、力が無いという事も、暴力を呼び起こすキッカケになり得るということなわけだ。
だから、
嫌い=使えるけど使わない
でないといけないと思う。
昔、柔道を教えてくれた老先生は
「最高の武術とは、戦いにならないようにする事」
とおっしゃった。
それは、戦いにならないように、相手に服従するという事ではなくて、
あくまでもこちらの体勢を崩さず、相手を引かせる、または上手く逃げる事であろうと解釈している。
最低限、自分と、身の回りの人間の安全をなんとか守れるくらいの戦闘力は、常に持つべきなんじゃないかな。
ただ、いざ戦いになったからといって、「待ってました!」とばかりに使えば、
まさに「生兵法は・・」だから、余程のことじゃない限り、
「その場をなんとか凌いで、逃げる。」ための戦闘力ね。
まあ、飽くまでも個人的な意見だけど。
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